物故商工業功労者概歴                                       (敬称略・逝去順)

千 賀 直 正       (商工業功労者)(逝去明治19年7月28日 64才)
知多郡亀崎(現在の半田市)竹内家に生まれ千賀家の養子となる。明治維新前後、新日本の黎明期に外国の優秀商品を移入し商業界発展の基礎を築く、米会社後の米穀取引所並に貯金会社(後の岡崎銀行)創設に尽力した。

早川休右ェ門     (八丁味噌醸造業功労者)(逝去大正5年1月23日 53才)
岡崎に生まる。八丁味噌の改良に尽力。八丁味噌を特産品として広く普及、宮内省の御用達を拝命し名声を高めた。岡崎商業会議所議員。

中 根 与 七        (商工業功労者)(逝去昭和11年12月25日 76才)
岡崎に生まる。金物商他幾多会社重役として業界に尽力した。岡崎商業会議所会頭。

初代 服部太郎吉    (商工業功労者) (逝去昭和16年5月24日 82才)
岡崎に生まる。鋳物業を営み服部鋳造株式会社創設初代社長、私立工業学校後の県立岡崎工業学校創設、業界発展に尽力したほか、特に社会事業の功顕著である。名誉市民

六代 深田三太夫    (商工業功労者)(逝去昭和19年6月13日 76才)
深田家六代目として岡崎に生まる。綿糸布問屋を継承、岡崎銀行、岡崎貯蓄銀行頭取として金融業に尽瘁、又綿布、酒造会社社長として商工業発展に尽力した、24年間に亘り岡崎商業会議所会頭等役員を歴任。

黒 柳 久 太 郎       (繊維事業功労者)(逝去昭和23年9月3日 69才)
岡崎の蜂須賀家に生まれ、黒柳家の養子となる。岡崎織布後の帝国織布株式会社及帝国紡績株式会社を創設し繊維工業の発展に努め、後日本レイヨン工場の誘致に尽力した。

鳥 居 吉 造           (商工業功労者) (逝去昭和24年1月6日 54才)
岡崎に生まれ鳥居家の養子となる。呉服商を営むほか、幾多の会社、組合団体の役員、岡崎商工会議所会頭並に愛知県商工経済会理事等を歴任した。

畔 柳 昇 三           (金融事業功労者)(逝去昭和25年3月14日 65才)
知多郡大高に生まれ、岡崎の畔柳家の養子となる。綿糸商を営み三河綿糸組合長として業界の発展に尽力し、後岡崎信用組合長に就任、金融事業に尽瘁した。市会議員、同副議長、岡崎商工会議所副会頭。

近 藤 重 三 郎        (商工業功労者)(逝去昭和28年7月17日 67才)
宝飯郡御津町に生まる。近藤家を継ぎ味噌醤油醸造業を営む。岡崎電灯株式会社取締役ほか幾多会社の重役を兼ね商工業の発展に尽力。町会議員、市会議員、衆議院議員、岡崎商工会議所会頭を歴任。

千 賀 千 太 郎        (商工業功労者)(逝去昭和37年2月21日 79才)
岡崎に生まる。呉服商を継承する他、ガス事業、その他幾多の会社の創設や経営に参画、また岡崎電話局開局に尽力。町会議員、衆議院議員、岡崎商工会議所会頭を戦前戦後を通じ三回勤め商工業発展に尽力した。名誉市民

田 口 宗 平            (商工業功労者)(逝去昭和42年3月5日 70才)
岐阜県中津町に生まる。株式会社三竜社社長、幾多の会社役員、愛知県製糸協会長ほか各種団体役員を歴任。昭和二十二年から岡崎商工会議所会頭として戦後の商工業の復興、発展に尽力。黄綬褒章、勲五等双光旭日章受章。名誉市民

松 井    弘            (商工業功労者)(逝去昭和43年4月13日 77才)
岡崎に生まる。株式会社みどりや社長。戦後岡崎商店街連盟初代会長、専門店会理事長として商業界の発展に尽力。岡崎商工会議所常議員、商業第一部会長。

服 部 太 郎 吉       (商工業功労者)(逝去昭和43年12月17日 69才)
岡崎に生まる。服部工業株式会社社長。岡崎鉄工会顧問、岡崎労働基準協会初代会長、愛知県経営者協会岡崎支部初代支部長として業界の発展ならびに労使間の安定に尽力。戦前戦後にわたり岡崎商工会議所常議員・副会頭

七代  深田三太夫   (商工業功労者)(逝去昭和50年4月28日 77才)
深田家七代目として岡崎に生まる。岡崎貯蓄銀行取締役、岡崎銀行頭取、東海銀行取締役・同監査役として金融界に尽瘁、また深田合名会社代表社員、三河織産株式会社社長、丸石醸造株式会社社長として商工業発展に尽力した。三十年間に亘り岡崎商工会議所副会頭、常議員等役員を歴任。藍綬褒章受章。

都 築 貞 一           (商工業功労者)(逝去昭和51年1月1日 74才)
安城に生まる。ミヤコ株式会社社長、三河観光開発株式会社社長、株式会社岡崎市開発公社社長。幾多の業界、関係団体役員として商工業発展ならびに社会一般の福祉増進に寄与した。二十七年間に亘り岡崎商工会議所監事、常議員、副会頭、会頭を歴任。紺綬褒章、従五位、勲四等瑞宝章受章。

杉 本 源 之 亟       (商工業功労者)(逝去昭和52年6月21日 88才)
岡崎に生まる。三河珪石株式会社社長、会長。幾多の関係団体役員として商工業発展に寄与した。二十五年間に亘り岡崎商工会議所常議員、副会頭等役員を歴任。正六位、勲五等双光旭日章受章。

服 部 敏 郎             (商工業功労者)(逝去平成4年5月24日 92才)
岐阜県加納に生まる。岡崎信用金庫理事長、会長、名誉会長。幾多の業界、関係団体役員として、信用金庫業界ならびに商工業発展に尽力した。四十年間に亘り岡崎商工会議所理事、常議員、副会頭、会頭、常任相談役、顧問を歴任。黄綬褒章、紺綬褒章、従五位、勲四等瑞宝章、勲四等旭日小綬章受章。名誉市民 
加 藤 平 三         (商工業功労者) (逝去平成5年12月31日 81才)
長野県木曽福島に生まる。合名会社まるや八丁味噌業務執行社員、相談役。幾多の業界の団体役員として味噌業界ならびに商工業発展に尽力した。39年間に亘り岡崎商工会議所議員、常議員を務めた他、工業部会長、中小企業対策委員長等を歴任。

松 井 茂 雄           (商工業功労者) (逝去平成6年1月5日 69才)
名古屋に生まる。株式会社みどりや社長、株式会社セントラルパークビル社長・会長、株式会社岡崎エネルギー供給公社社長。岡崎市商業団体連合会、岡崎駐車場協会の各々初代会長として商業界ならびに地域社会発展に寄与した。25年間に亘り岡崎商工会議所議員、常議員を務めた他、商業第一・小売商業部会長、商業近代化プロジェクト推進委員長等を歴任。

加 藤 直 一 郎       (商工業功労者) (逝去平成7年2月19日 77才)
岡崎に生まる。岡崎倉庫株式会社社長、合名会社まるや八丁味噌代表社員。幾多の業界、関係団体役員として倉庫業界ならびに商工業発展に尽力した。40年間に亘り岡崎商工会議所議員、監事、常議員を務めた他、税制委員長、会議所制度調査委員長等を歴任。藍綬褒章、勲五等瑞宝章受章。

峰 澤 佳 行            (商工業功労者)(逝去平成7年11月13日 93才)
新城に生まる。峰澤鋼機株式会社社長、会長。幾多の業界、関係団体役員として、卸業界ならびに商工業発展に尽力した。27年間に亘り岡崎商工会議所議員、常議員、理事を務めた他商業第二部会長、地域開発委員長等を歴任。勲六等単光旭日章受章。

香 村 政 男            (商工業功労者)(逝去平成9年4月8日 84才)
岡崎に生まる。岡崎信用金庫理事長、会長。幾多の業界、関係団体役員として、信用金庫業界ならびに商工業発展に尽力した。15年間に亘り岡崎商工会議所副会頭、参与を歴任。黄綬褒章、正六位、勲五等双光旭日章受章。

竹 内 忠 光            (商工業功労者)(逝去平成9年5月18日 77才)
東加茂郡松平に生まる。株式会社エターナルカモ社長、会長、株式会社岡崎ニューグランドホテル社長、会長、加茂観光株式会社社長、会長。幾多の業界、関係団体役員として、繊維業界ならびに商工業発展に尽力した。36年間に亘り岡崎商工会議所議員、常議員、副会頭、参与を務めた他中小企業委員長、小企業等経営改善資金審査委員長等を歴任。紺綬褒章受章。

服 部 國 男         (商工業功労者)(逝去平成10年11月27日 74才)
岡崎に生まる。服部工業株式会社社長、会長。服部商事株式会社社長、会長。日本機器工業株式会社社長、会長。株式会社ヤマサ社長、会長。幾多の業界、関係団体役員として、幅広く業界ならびに商工業発展に尽力した。37年間に亘り岡崎商工会議所常議員、副会頭、会頭、顧問を務めた他、金属部会長、運営委員会委員長、会館建築委員会委員長等を歴任。藍綬褒章、従五位、勲四等瑞宝章受章。

澤 田 弘 武         (商工業功労者)(逝去平成12年2月25日 81才)
岡崎に生まる。澤田毛糸紡績株式会社社長。幾多の業界、関係団体役員として、繊維業界ならびに商工業発展に尽力した。三十年間に亘り岡崎商工会議所議員、監事、副会頭、会頭、顧問を歴任。藍綬褒章受章。

小 原 守         (商工業功労者)(逝去平成12年6月27日 83才)
岡崎に生まる。小原建設株式会社社長、会長。幾多の業界、関係団体役員として、建設業界ならびに商工業発展に尽力した。46年間に亘り岡崎商工会議所議員、常議員、副会頭、会頭、顧問を務めた他、建設部会長、産業政策委員長、情報化委員長等を歴任。黄綬褒章、勲五等双光旭日章受章。



戻る