キックオフセミナーパネルディスカッション会議録





コーディネート活動支援事業キックオフセミナー パネルディスカッション
開催日時:平成10年10月29日(水) 15:35〜17:30 於 岡崎商工会議所中ホール他
出席者 :75人。
第2部 パネルディスカッション
   『21世紀に向けての産学協調活動のあり方』
【草間】 今紹介に預かりました大阪大学草間でございます。今から第2部を始めさせていただきます。パネリストの先生方を紹介いたします。
 こちらから愛知学泉大学、愛知学泉女子短期大学学長の寺部先生でございます。お隣は愛知産業大学学長の内藤先生でございます。お隣は愛知学園国際短期大学学長の竹市先生です。最後になりましたが、岡崎女子短期大学副学長の竹本先生です。
 なかなか岡崎ではこういう機会はないものですから、皆様方からご質問があると思いますが、まずパネリストの各先生方から、ご自身の大学紹介と産学協調活動に対する先生ご自身方のお考えといいますか、こういう形であったらいいなという話を10分程度でお伺いしたいと思います。寺部先生からお願い致します。

【寺部】今日はキックオフセミナーという事でございますから、サッカーの場合でもゴールはまだ遠い訳でございます。
 そういう意味で今日初めてお会いしたわけですが、一番大事な事は産学協調であり、岡崎の場合、愛知県でもそうですけれども、京都のように大学と大学の連携というのがまだ進んでおらない状況でございます。愛知学泉大学がどういう大学かという事と、今後どういう物を目指しておるのかというお話をしていこうと思います。
 簡単に申しますと今も製造業についての話がいろいろあったわけでございますが、時代はいわゆる右肩上がりから右肩下がりに移ったとこういう事でございます。また、簡単に申しますと20世紀はアメリカの時代でございました。アメリカの時代とはどういうことかといいますと、僕がいつも例に出すのがコンピュータのOSといいますか、オペレーションシステムについてでございます。まあ昔はスタンドアロンでCPMですか、それからマイクロソフト、IBMが組んだ為にグローバルスタンダードでMS-DOSとか、そういう世界になった訳でございます。そうすると今現在はどういう時代かと申しますと、OSを今書き換えなければならない、或いはオペレーション社会のOSをチェンジしなくてはいけないというような状況に来ておるわけでございます。

 冷戦時代とういうのは2つのOSがあったと、まあ共産主義と自由主義というか、2つのOSがあって戦ってきたわけでございます。けれども現在は1つのOSに持っていきたいというのがアメリカの戦略だなと思うわけでございます。
 その中で皆さんも悩んでおられるでしょうが、私学も国立大学もそうでありますけれども非常に少子化の影響を受けてとにかく大学に入りやすくなった、競争の時代に入って、同じような悩みを抱えておるわけでございます。
 現在考えている事は20世紀に日本は高度経済成長をしましたけれども、高度成長の中でとにかく家を持ちたい、一戸建ての庭付きの家を持ちたいといわゆるアメリカンウェイオブライフの追求をしてきました。しかし現在はアメリカンウェイオブライフを世界の人々が追求できない状況すなわち環境問題がございます。もう一つはアメリカンウェイオブライフそれ自身が実は今一番本当に豊かな生活かという事が問われておるという時代だと思うのです。

 家政学部というのはなかなか理解しにくいわけでございますが、家政学部をどんなふうにとらえているかと申しますと、実は生活様式といいますか、アメリカンウェイオブライフに変わるような生活様式をデザインしていくことが家政学部の役割でないかと思うわけです。
 というのは現在も景気対策で色んなことをやっておるわけですが、金があるにもかかわらずなかなか国民がのってこないというのは、結局は生活のビジョン、生活スタイルを殆どの方が変えなければいけないと思っているけれども、実はまだはっきりしたものが見えて来ない状況だと思うんです。本学の場合は家政学部、経営学部、コミュニティ政策学部とある訳でありますけれども、こういう生活を実現するためにはグッズとサービスがあるわけですが、その中で公共性があるものについては企業は手を出せない、政府が手を出すわけでございます。ところが現在はどういうことが問題かというと、実は中央集権のやり方が大きな原因ではないかということで、地方分権という流れが来ております。

 本学の場合は今申しましたように、生活基盤の問題を取り扱うのに家政学部、それから経営学部が産業空間を、それから公共空間と今年度から3つに関連してきました。11年前に経営学部が出来て以来、今年度からコミュニティ政策学部を作ったのは、街づくりというか地方分権をにらんでのことでございます。
 この3つの学部を作ったことで1つは対地元の企業に対するアプローチが出来るし、それからもう1つは行政とのアプローチも出来るし、地域とのアプローチもできます。現在も安城市から、更生病院の移転で街の商店街が大騒ぎだという問題に知恵を貸してもらえないかという事も出てきております。
 時間の関係がありますから、一番話したい事は、実は大学教育自身が今一番問題でございます。本学がこれから展開しようと思うのは地域とともにつくる学校を作ろうじゃないかと、例えば経営学部でカリキュラムを作る時には、単に大学の先生だけが作るんじゃなくて、今日おられる方にも参加して頂いて、企業が求める人材は一体何かとこれを明らかにしてもらいたい。当然大学教育でありますから、全て人材教育ではなく、人間教育の上に人材教育が大切ですが、人材にもならんような人間をつくっていては大学の意義はないと思っております。そういう意味で経営学部のカリキュラムを作る時に一般企業の、地元企業の方々の知恵を借りるというふうな事を考えております。

 それから産学協同については、僕も昭和23年生まれですから大学紛争を経験致しまして先程お話がありましたよに、あの頃は、産学協同といったらアメリカ帝国主義うんぬんという事でございましたけれども、今はとにかく産業と大学は新しい関係が求められているんだと考えてこの席にも参加しているわけでございます。
 そういう意味で僕は思うのですが、すぐに企業は営利を追求するところといわれていますけれども、そうではなくて、企業も一つの社会貢献体だと考えております。また大学も一つの社会貢献体である。それから行政も社会貢献体であると思います。
 特に現在一番大事な事は21世紀は私たちの生活スタイルを変えなければおそらく地球自身が破壊するだろうと思います。大学、企業、地域、行政の4者が協力して岡崎の街の活性化、岡崎の街が元気になる為には大学として何をすることができるかという事を考えていきたいと思っておりますの。一番聞きたいのはどういう悩みを皆さんが持っておられるか、そしてそれを研究テーマにしたいなと思っておりますので宜しくお願いいたします。

【草間】 ありがとうございました。地域とともにつくる大学を目指したいという観点から大学を紹介して頂き、また産学官の新しい環境を作ることに貢献していきたいという大変ありがたい、力強いご意見でございました。ありがとうございました。続きまして愛知産業大学学長の内藤先生お願いします。

【内藤】 紹介に預かりました内藤でございます。私ども愛知産業大学は平成4年開学の極めて新しい大学でございますが、母体の水野学園は幼稚園から専門学校、短大まで歴史も分野も多面的に確立しておりまして、最後に愛知産業大学を作った訳でございます。平成4年というのはまだ旧設置基準の最後の段階で固い時代の創立でございますが、どういう展開をするかという事で私どもと岡崎の地域性を活かすという事を主題にしております。
 その場合に人類の歴史から言えば第一次産業の農業化社会、それから第二次産業の工業化社会というような事を考えた時に、普通産業というと工業化社会を前提にしますけれども、特にこの岡崎という地域性を考えた時に、農業を重視した工業の発展を考えなくてないけないという主旨を持っております。
 21世紀は情報化社会ですから当然それも前提にしなければ21世紀の展望が出来ない訳ですが、その際に、私ども大学の教育研究というのはどうも明治以来ヨーロッパ中心の教育を考えておりましたけれども、コンセプトとしてのヨーロッパ中心の社会構造ではまずいんじゃないか。具体的に申しますと、やはり東洋の文化産業を踏まえ、地球規模の環境を考えて文化を創っていく大学を考えていかなければいけないと思っております。

 具体的にはご承知のように1980年代頃よりアメリカの色んな大学を含めて環境倫理学という学問体制が非常に発展してきております。これはまず、人類の歴史の中で20世紀は工業化社会を作って日本はその代表として発展してきたんですが、それを含めて戦後の教育の中で色々な反省をしなくてはいけないという段階にもう来ていると思います。その時に環境倫理が重要なテーマとして21世紀を展望することが出来るのではないかと思っております。

 具体的に言いますと主として3権がございますが、1つは生命権の倫理、これは私自身も勉強して驚いたコンセプトですが、工業化社会を作るときに、フランス革命の自由博愛平等のセオリーというのが近代を作ってきたという事で特に日本の戦後はですね、平等と自由というセオリーを社会が当然の事として認識していたわけですが、人権以上に生命権というものを尊重しなくてはいけないというセオリーでございます。動物や植物とか生命があるというものに対して人間と同等以上に尊重しなくてはいけない。
 自然環境の破壊という事を考えた時に、私は建築、環境を専攻している者ですから、特に感じてしまうのかもしれませんが、戦後の日本の反省点として、人間の建築を作れば全てが良くなるという発想をすてなくてはいけない。
逆に人類の歴史の中で本来建築は神に変わって作らないといけないという古代からのセオリーがあり、それだけに環境についてはは倫理観が必要だと言われてきたのですが、明治以来ヨーロッパで人間中心が大学教育の中に、特に建築教育の中に定着していただけに、非常に反省をしなければいけない。その場合に過去を否定して新しい革命を起こすというようなヨーロッパ的な精神ではなくて、東洋精神で、例えば儒教、道教、仏教を含めた環境を大切に神に変わって大切にしなければいけないというセオリーを生命権の倫理という形で教えられた。改めて戦後の大学教育の中で不足していると痛感している次第であります。

 それから2番目は通事性の倫理、過去現在未来の歴史が人類には当然あるわけですが、戦後の工業化社会を踏まえた日本の社会というのは、古い事よりも新しい事ばかりを目標にしてきているわけですが、私も歴史を勉強するなんてのはナンセンスだっていう時代がありました。
昭和20年から30年頃。そういう時代に日本の現代を引き継いだ時代があるわけですが、この場合に一番大きな問題は過去の伝統文化遺産を現代人が守るべき義務として未来に繋がる文化資産を作っていかなくてはいけない。要するに過去の伝統を踏まえた未来の展望をしなくてはいけないという、文化遺産の考え方が非常に薄かった。そこで通事性の倫理が未来に向かって考えなくてはいけないという事であります。

 それから3番目は地球規模の倫理、これは当然ですが地球には限界がある。地球が悪い事をしたのは15世紀です。それ以来5世紀以上もたって人類は資源というのは無限にあるという傲慢さがあったわけです。それで科学的に色々な永久に腐らない材料を生産して未来を展望してきたわけです。
 私も最近学生たちに話すのですが、私の学生時代に科学工学の先生が、今で言うプラスチックの新材料を発明されてお前たちこんなにいいものを講義で手に触れられるんだから喜びなさいと言ってプラスチックを教えられたんですが、考えてみると永久に腐らないものは神に変わって大変に失礼な事をしたんです。
今は産業廃棄物をどうするかという、地球規模の倫理の中で非常に大きな問題になっている。
 むしろ腐る事の方が地球規模の倫理から言えば当然大切にしなきゃいけないセオリーであったわけですが、それが現代工学化社会で人類の横暴になりすぎた反省点ではないかと思っています。そういう事を含めて農業化社会、人類の革命の中で農業化社会というものを踏まえた情報化社会を作っていかなくてはいけない。農業を蔑んで工業化社会を作ることがいい事ではないし、それを又蔑んで情報化社会を作る事もいいことじゃないと思います。
 やはり人類の歴史を通事性の倫理を長い意味で評価しながら過去の成果を永久に残す努力をしていかなくてはならないんではないかと思っております。私どもの大学も、産業大学として現在造形学部で研究学科と産業デザイン学科がございますが、情報経済ないしはまだ正式に名前は紹介できませんが、経営学部的な発想をして人類の歴史の中で次の21世紀をどう経営をして人類の幸福の社会を作ればいいかということは基本的に研究する機関を作っていかなければと思っています。
 私ども愛知産業ユニバーシティを略したASUを文字って、明日を夢見る大学というのを学生自身が伝統にしたいと言い始めまして、私も明日を夢見る大学というのは当然の事として大学教育の中で特に最近の若い人たちは明日を夢見る精神が非常に欠けていると思います。

 先程言った環境事業を踏まえ、明日を具体的にどう想定して成長し、社会に役立つ事は何かを考えなければならないという事で、具体的には造形学部としてデザインという情報的な発想を含め、明日を夢見る事を学生と一緒に考えていますの。どうか地元の皆様方も農業的な生産だけでいいとか、工業的な生産だけでいいとかでなくて、正にコンピュータをフルに使って世界の情報を集めて日本のこの三河地方で共に生きる方法を考えるべきではないかと思います。
 共生という場合は私どもが注意しているのはミックスではない、インターであるということです。色々な文化をそれぞれの個性を活かして地域性を含めて文化的な伝統を踏まえて、ミックスしていくのではなくて、インターして新しい21世紀の展望をしなければいけない、その為には先程最初に申しましたように、ヨーロッパ中心主義では駄目です。東洋の古くからあった自然環境を生かす精神を、哲学を未来に展望していかなければいけないという事です。
 僕は一昨年パリのルーブルで日本の建築の伝統の話をしたんですが、その時にフランス人が日本の共生のコンセプトを非常に注目しておりました。日本の方がむしろ気が付いて無いということを言われまして、そういう風土の中で三河地方は幸いにも大変工業化社会でもないし、農業化社会を伝統にした大きな伝統がありますので、東洋の精神を基にして世界を展望して地球環境をこれからより充実させたものにしたいと考えている次第であります。

【草間】 ありがとうございました。21世紀を展望した、或いはその地球環境を考慮したご説明、大変ありがとうございました。続きまして岡崎学園国際短期大学学長の竹市先生よろしくお願いします。
【竹市】 ご紹介頂きました竹市でございます。私は岡崎に来まして1年半しかございません。岡崎学園国際短期大学というのはおそらくこの中では一番小さな大学だろうと思います。そこに4年生大学を作るように努力しろという事でご承知の梅原猛先生がこの国際短大に昔から関与しておられ、梅原さんからのご依頼を受けまして、白井理事長の元でそれを実現すべく努力をしている次第でございます。
 幸いこの9月に新しい4年生大学の申請を文部省に受理して頂いて、これから1年半後の西暦2000年、平成12年の4月から4年生大学を開学しようと思っております。名称は今のところ、人間環境大学という名前にするつもりでおります。どうしてそういう名称を考えたかといいますと、私は前に勤めておりました大学が京都大学でありまして、そこで10年程かかって2つ、1つは人間・環境学研究所という大学の研究所創設に関わり、もう1つは総合人間学部という学部の創設に関わったわけです。随分みんなで力を合わせて頑張ったのですが、なかなか古い大学を改革することは一番難しいという事が良く分かりました。依然として改革の途中にあると思います。

 そこでこの学校に来ました時に国立と私立との違い、規模も全く違いますので、同じ事は出来ないし、又してもしかたがない。今までやれなかったことをここでやりたいと思ったわけで、名称も京都大学の人間・環境学研究科には、人間の次に中黒がちょんと入りましてそして環境をつないで人間・環境学研究所という名前だったんですけれども、私どもの方は中黒を取って人間環境大学としたいと思っております。
 それには意味がございまして、人間・というのは中黒で人間と環境、環境は主として自然環境を意味しておりますが、人間と環境を繋ぐという意味です。そして繋ぐと同時に、どのようにして人間と環境が繋がるか、先程からお話に出ておりました人間と自然との共生という、共生の可能性を探求するいう意味であったんです。しかし私どもの方の人間環境大学はコンセプトを少し変えまして環境そのものを人間環境と考えていこうとなったわけです。
 つまり自然というものを考えますと地球に酸素ができたのも、海の中に卵巣ができてそれの交換によって酸素が大気の中に発生してきたんですね。
 様々な自然の生成は最初に地球が生まれた時を除きますとこと、いろんな生物が、そして最近の数千年は人間の働きによって自然そのものが実は生まれていると考えていいと思います。そうすると自然環境と言われているものも基本的には人間の作っている人間環境である。人間が作るという意味とそしてそういう人間が作った環境が人間にとっての環境になっているという両方の意味を持つわけです。そういう意味での人間環境を研究しようじゃないかというものです。

 特に最も人間にとっての環境が人間環境になったのは何と言っても近代以後でありますから、特に科学技術や経済力が発展して人間環境がしっかりと整備してくるわけですね。それを研究するような大学にしようじゃないかというように考えて人間環境大学にしました。私どもの意図としては、先程内藤先生がおっしゃいました事と非常に近いことではありますが、まず第一番目に3つの専攻を作りました。1つが人間環境専攻、2つ目が精神環境専攻、3つ目が歴史文化環境専攻となってます。
   人間環境専攻というものの中心におきますのは環境経済学であります。私は専門ではございませんが、需要と供給によって経済は発展していくわけですが、大きな前提になっておりますのは資源が無限にあるという事ですね。それから同時に無限の資源を消費して発展する時にその弊害を防ぐ事が出来るような科学技術の開発が条件です。
 どのように経済が発展しても科学技術の発展によってそれの弊害が防ぐ事が出来る。この2つを前提として考えられていると思うんです。ところが実際には資源は有限でありますし、そしてそこから生まれてくる問題は科学技術でこれを絶対的に解決できると考える事は到底できません。そういう資源の有限性、結局は地球の有限性に対して科学技術の発展は地球を守ることへ向きを変えていくような努力が必要であろうと思います。
 それは結局人間の努力によるものです。そしてそういう経済を考える。これが環境経済学だと思うのですが、私どもは第一の専攻で十分これは可能であると考えています。但し、環境問題といいますと暗いイメージがあると思います。

 かつての公害問題から始まりまして、結局環境問題を考えるということは、経済の発展を止め、歴史もそこで止まってしまって、静かな落ち着いた生活を昔に戻ってやろうというイメージがどうしても残る、それはやはり困ると思うのです。
 それでは経済を発展させ科学技術を無限に展開してもいいかというとこれも困るわけですね。これは二立背反の問題でどちらをとっても片方がうまくいかないという、おそらく21世紀以降の人間に突きつけられた根本問題であります。容易に解決することが出来ない問題ですが、それをうまく解決する方向へ持っていく基礎的な学力を付ける、教養を付けるという事をこの人間環境専攻でやりたいと思っております。

 2つ目の精神環境専攻といいますのは、これは環境問題が未来の方向を目指しているとしますと、精神環境専攻というのは正に現代の問題です。現在の問題と言いますのは結局17世紀から始まりました近代ヨーロッパが現在に至り世界中を支配し、あらゆる現代社会の中に巻いてきた様々な精神の危機の問題、ご承知のように学校での少年の犯罪ですとか、或いは会社の中の行き詰まりですとか、それがことごとく人間の精神の類に及ぼしているんですね。そういう問題を私どもは、真剣に大学の問題、大学の中の学問の問題として取り上げたいと思っています。
 従って普通の言葉で言いますと臨床心理学とか、精神医学とかいう領域をやることと、人間と人間との言葉のつながり、言葉のコミュニケーションと一人一人の精神或いは社会全体の精神を深めていってそこにどういう原因があり、どういうことが起こってくるのかというのを問題にする、すなわち精神環境の問題として取り上げ第二の専攻問題にしたいと思います。

 3番目は歴史文化環境とう事であります。これは内藤先生もおっしゃったことですが、私どもの現代の社会というものは結局は世界の一般の環境の中で生まれてくるのでなくて、私たちという限定された人間が背負ったきた歴史文化の中で生まれてくるのです。ということは日本文化であり、日本の歴史の中で生まれてきたんです。
 確かに日本は近代化に成功したアジアの中で唯一の国だと思います。それはすでに江戸の半ば頃から近代化への動きが始まりました。ご承知のように江戸時代における識字率、字を知っている率というのは世界一なんです。教育が大変な役割を果たしている。そういう地盤の上で江戸時代というのは鎖国時代と言われていますけれども、近代化への芽を培った時代で、そして一気に明治維新以後近代化を行ったということです。そして世界有数の国になったわけです。

 戦後は第二次大戦に敗戦したお陰で日本の歴史を否定することばかりを学んだのですが、江戸時代から明治の日本の歴史は成果であった訳です。アジアはそれを見習い今でも日本に対する注目がきている事もご承知の通りです。
 しかし今の日本の現状でこれからもアジアの人々の模範になるような文化、社会でありうるだろうかというと、これまた大変な問題だろうと思います。私は例えば第二次大戦で日本軍が負けたと言う事の中には日本文化や日本精神の欠陥も大いにあると思います。日本人の非合理的な性格であるとか付和雷同性であるとかが敗戦に導いた事の一つの精神的な要因であり、近代化を徹底することが出来なかった。近代化を本当に徹底した事がいいかどうか、アメリカ式の近代化をやっていいかどうかというのは別問題ですけれども。従いまして、私どもはこの歴史文化環境で日本の歴史文化そして日本が行った近代化、これからの方向、行方をきちっと客観的に評価できるような勉強をしたいと思います。

 日本文化というものは文字の上だけの文化ではございません。これがヨーロッパの文化と大いに違う所でありまして、身体をもって、体の動きを含めた文化なんですね。人間の振る舞いを文化として形成したのはおそらく日本が一番大きな役割をもった文化を持っていたんだろうと思います。
 従いまして、私どもとしては、芸術、工芸、それから様々な衣食住の生活、それから茶道とか華道とか、更には日本の文化でおそらく最も特色のある世界に誇るのは庭園でありますから、そういうあらゆる総合的な日本文化を研究しつつ、これを単に構図的な日本の伝統でございますという事では終わらせないで、いかにしてこれを現代の中に活かし、あるいはそれの批判をしながら新しい文化を生み出すかという問題を3つ目の専攻にしたいと思っています。

 後2つも副専攻として一般教育、この頃はコアカリキュラムと呼んでいますが、こらは殆どが単位の数あわせに終わっております。私は新しい大学を社会、企業の中に直接関わらせるつもりはございません。大学というのはあくまでも大学としての機能、独立性を保たなくてはいけないと思います。
 しかし、私どものやりますような教育を受けた学生こそ総合的な判断力とそして新しい事へのクリエイション、想像の力を身に付けて社会に送り出す事ができるのではないか、そういう仕方で私は日本の現代社会或いは三河の地域、岡崎の地域に貢献できるような学生を教育したいと思っております。どうもご支援の程宜しくお願いします。

【草間】 ありがとうございました。新しい大学のご紹介と設立コンセプトにつきましてご紹介頂きました。ありがとうございました。続きまして岡崎女子短期大学副学長の竹本先生、宜しくお願いします。

【竹本】 失礼します。岡崎女子短期大学の学長は中垣でございますが、どうしても今日は出張と言う事で私が代理で出席させていただきました。岡崎女子短期大学は歴史は30数年になりますが、変化が無かった短大であると言えます。
 今時短大というのは、色んな趣向を考えて、工夫しましてどんどん4大指向等に変革していくというのが旺然だと思うのですが。実は私どもの短大は教育系という見方をしておりまして、幼稚園の先生、保育園の先生養成という短大で、なかなか岡短はいいんじゃない、授業料が安いんじゃないというような売りで来てしまったということもあると思います。このままでいいのかというと、大変厳しい時代に来ているので変革していかなければという事になるわけです。

 先程の奥野先生の話は、私に言わせると大学と企業が癒着している形で成り立つのか、そこまで来ているのかと感じました。癒着という表現は良くないですが、そういう協力体制があって相互に共存共栄していくという時代であるんだいうことを感じました。
 今年の夏に学泉大学さんのコミュニティ政策学部の開設記念式典に出席させて頂いて、まさしく企業が必要とする人材育成みたいな事をいち早く取り入れられてみえますが、うちはいかんせん3大学さんに比べて産業、企業へという売りという面では非常につぶしの効かない要素があります。
 当然私どもの大学は申し遅れましたが、幼児教育学科第一部、幼児教育学科第三部、第三部というのは勤労学生対象という事ですが、それと初等教育学科と遅れて出来たのが経営学科があるわけで、事の始まりは幼児教育、初等教育とか現職教育研修で現場に出向くというような事は当然の事ながら昔からやっております。

 私どもは教育研究所というのがありまして、ウィークエンドセミナーというようなものを行なって、幼稚園保育園の方々との接点は非常に良かったわけでございます。経営学科ができても短大で経済・経営学を学んで、学生がはけるもんだろうかなかなか厳しい現実でございます。
 幼児教育が主体であるので、来年度から健康科というものも1年間の専攻科とし、将来計画としては一番学生数の多い幼児教育学科の変貌を遂げるような形、構想的には社会福祉士、介護福祉士という資格を取得できる専攻科といったものを作ってみて4大にというような事を考えているわけでございます。少なくとも今までのままではどうしようもない。
 遅ればせながら私は以前図書館長、生涯学習研究センターという部署におりまして短大の中では外が見れる部署にいたのですけれども、かといって企業との関わりは非常に疑問でございます。経営実務科の中に経済学に詳しい先生も何人かおられますし、まさしく街づくりのようなことに活躍している先生は一部みえますが、一般的にみて、まだまだという感じです。

 その中で生涯学習センターというのは平成6年に県の委託事業で女性カレッジという県下の女性のリーダー的な人材の養成というようなことを担当させて頂くという事ができまして、続いて、6、7、8年には愛知県教育開発センターの県民大学で、大学開放講座を連続してやらせて頂きました。続いて岡崎市の市民カレッジなどを開催し、出来るだけ我々の先生の社会還元的な場を作ろうではという気がしております。
 その講座の様子を見てみますと、いわゆる働いておられる産業界の皆様方が受講者で来るというのは、どちらかというと少なくて、退職された方とか、職を持っておられない方々が多いわけです。そういう中で、将来的には一般企業で働くかた、あるいはその家族を対象にして岡崎短大に企業の方からご要望して頂けるような例えば、一般的に健康ですとかレクリェーション、スポーツ関係、ガイドのようなもので、専門的にお役に立つことを考えています。

 また春日井のコロニーから常勤としてきていただいて、働く人の精神の問題について相談などの利用など、働く人の健康、働く人の家族というような所に接点があるんじゃないかと考えております。

   私は元々スポーツ医学系の人間で、大学出てから研究所にて、プロのスポーツ選手、一流のアスリートの生態反応というような筋電図、心電図などの研究をしてまいりましたが、超一流の人の体力を科学してみても世の中一般人の人に何の意味があるかなと思い、一般人の健康教育をだんだん専門に研究してきました。そして今や幼児教育学科でこれからの時代を担う子供たちの安全を保証することについての研究をしています。
 それから、今、豊橋でボランティア養成講座、市民大学をやっていますが、これは緑の海援隊というタイトルでまさしく自然を守るボランティアの人の養成講座、これはただ自然を守るだけでなく、ボランティアの健康も守るというような非常に斬新的な企画について喜んでお引き受けしています。このように、一般企業の方で岡短のここが利用できるじゃないかというような考え方を持って頂いてご利用していただくとありがたいという気がします。私は本日代理でございますので、どうも要領を得なくて帰って学長に怒られてしまうのではとも思っています。以上でございます。

【草間】 ありがとうございました。大学の改革構想を中心にご紹介下さいましてありがとうございました。この地域の産学協調に対してヒントを頂いた点もございます。これを踏まえまして会場の皆様方から質疑を頂戴したいと思いますのでいかんなくご意見を頂きたく思います。どなたでも結構です。どうぞ。

【質問者】 私はずっと本当に身を乗り出して聞いていました。非常に迫力のある話でびっくりしました。この種の集まりでは、竹本さんがおっしゃったように、先ほどの名大の先生みたいに大学と企業がこんなにくっついちゃっていいのかというような話が多いんですが、今日は物凄く哲学的な話から人間中心的な話まで、この前、梅原さんのお話を聞いたばかりで、彼は仙台で生まれてどっか知多で育ったと言ってましたけれども、何か岡崎の特色が現れているような気がします。質問は、この4大学をインテグレートできたら凄いなと思うんですが、本当に新しい産業というか文化産業みたいなものが生まれる可能性は大いにあると思うんですが、草間先生コーディネーター大変だとおもうのですが、草間先生に対する質問でもいいですか、これをまとめるアイデアでもありますか。

【草間】 私はあくまでもコーディネーターでございますので。どういたしましょう。
【寺部】 補足も兼ねまして、産学協同という非常に美しい言葉を使いますが、インターンシップは、なにかアルバイトみたいなところもあるわけですね。僕の考える産学協同というのは実は先程話を聞いていて、4大学皆さんも同じ時代にいるので同じ事を考えているなと思いました。本学の場合には87年経って、幼稚園が3つ、高等学校が男子校、女子校、女子の短期大学、大学と元々女子対象なんです。それが来年度から男子校が男女共学に、女子校が男女共学にすると、今一番大事な事は、高等学校の教育と大学の教育を本当に上手くつなぐ、いい意味での一貫教育というかそうのを考えることです。

 先程東洋の話にございましたけれども産学協同とどう繋がるかというと、実は市場というのはこれ生き物です。企業も良く企業体というわけでございます。実は企業だって一つの生命体だと、さらに地球も生命体だと思います。ですから全てを生命体だとすると、産学協同の問題というのはいわゆる大学という一つの生命体、それから企業というのも一つの生命体が一つのアリーナのなかに如何に技術共生としていくか、その問題が私が言う産学協同なんだと思うのです。
 特に今、大学だけが頭脳だというような時代は終わって、企業も一つの頭から足先まで、精神もある体もある生命体だと思います。大学という生命体と企業という生命体が連携することが産学共同体の一つに新しいあり方かなと思っております。

【草間】 ありがとうございました。柴田先生の質問に半分お答えします。4大学のインテグレートという話は私の管轄外の話ですのでさておきまして、今日は非常に大変素晴らしいお話を伺いましたという事なんですが、私も全く同感でございます。

 先程第1部基調講演で奥野先生から産学が非常に密着、癒着という言われ方も出てきたのですが、そういう話だったのですが、私はいつもここにおいでになるコーディネーターの服部さんとハイテク化が進めば進む程必要になってくるのは感性ではないかというような話をしています。
 ビジネスの話も同じでありまして、例えばインターネットの話をしますと、会場の方からインターネットって儲かりますかという話になりますし、環境分野の新事業を立ち上げたいといいますと、環境の分野って儲かりますかという話なんですね。しかし例えば補助金を頂くときにインターネットで儲けたいという文章を書きましても絶対補助金ってもらえないんですね。
 まず環境とは何か書いている本人がどれぐらい環境というものを理解しているかがポイントで、手前味噌ですがこのコーディネイター事業の申請書を出しました時に、中部通産局の課長さんから本当に素晴らしい申請書だとお誉めの言葉を頂きました。それは商工会議所のメンバーの方々がコーディネーター活動とは何か、新事業とは何かという基本コンセプトに立ち戻って、じっくり考えられて申請書を書かれたからだと思います。
 ですから今日のテーマは21世紀に向けての産学協調活動のあり方ですけれども、即産学協業活動をしてお金が儲かるかという事ではなく、先程竹市先生や内藤先生が言われましたように現在地球が悩みをもっているという事はそこにニーズがあるわけです。そういうものをきちんと把握したうえで新しいビジネスを見つけていくという方向でないと駄目なんではないかなというふうに考えております。

【質問者】私は岡崎というのは或いは西三河というのはとにかく金儲けしか興味ない、小金を貯める事しか興味ない所で、およそ哲学だとかには関心がないと確信しているんです。
   ところが梅原先生が似たようなことをおっしゃっているんですが、金儲けの他に文化、踊りとか、芸事とか、習い事には割に金に糸目をつけないんですね。それがどうも4大学のトップに見事に反映しているみたいで、今言ったように産業と文化、芸事とかを結びつける事はやってこなかったんですが、どうもそれが岡崎の新産業になりそうな感じがしました。お答えがあるとしたら竹市先生だと思うのでよろしくお願いします。


【草間】 すみません、竹市先生宜しくお願いします。
【竹市】 コーディネイターの方がおっしゃいましたけれども、私ども考えまして、環境問題というのはこれは非常に平たくいいますと意外にお金が儲かるらしいんですよ。といいますのは、ハードの面とソフトの面がございまして、今は企業がハードの面で環境問題を取り上げないとまず企業が立ち行かなくなる。
 そして環境関連の産業が、21世紀の初めになると20兆円の規模になるだろうと言われております。それからソフトの面はもう少し人文社会的な面でのことで、そちらのほうでも何兆円という規模になるだろうと予測されております。これは同時に日本だけでなくてアジアが環境問題で悩んでいるわけです。
 日本を見習ってという事になってきますと、環境問題に先駆的な研究開発を小さな企業、中小企業から大企業に至るまでやっていきます。これは決して経済的に暗い面だけでなくて、発展する方向であろうと簡単にお話をさせて頂きました。

 私、確かに三河の出身ではございません。尾張の出身でございます。長い間京都におりましたが名古屋から東へは1年半前に初めて来たんです。やはり尾張の風土とは随分違うと思いました。三河の方というのは、特に岡崎の方は堅実そのもので悪く言えば保守。しかしですね、私がっかりした事がございます。一つは岡崎の街です。それから先程内藤先生がおっしゃっていた農業の問題ですね。
 農業の方から先に申しますと、安城を中心とした農村地帯に家や工場ができましたのを電車で通る度に見て非常に残念で、もう途中下車する気が起こらないんです。先程の内藤先生の話のように農業というもの、山林というものをもう少し大事にして頂きたい。それから岡崎の街は私は大変失礼ですけれども、都市計画がないと思います。
 山の上のほうに病院とかスポーツホールとか、美術館とか、でもあそこに行くには車で行くしかないんですね。そう言いますと岡崎は一軒に皆2台くらいある車社会ですからって大丈夫だと馬鹿にされるんです。しかし街というものの文化とは、街の中でおいしい家族的に楽しめるような食べ物屋もあって、小さな商店があるという商店街と文化とか一つになっていないといけない。岡崎の街はこれだけ沢山の歴史的な遺産を持っているのにどこかに全部埋もれてしまっているんですね。こんなにもったいない都市計画はないと非常に残念に思いました。何とかして頂きたいとこれはお願いします。

【草間】 ありがとうございました。私も全く同感でございます。岡崎は都市計画がないという話しですけれども、都市計画ご専門の内藤先生何か。一言ございましたら。

【内藤】 私は日本の都市計画をずっと歴史的にやっているのですが、世界的に見ますと日本の都市計画は世界の都市計画に比べると、非常に規模が大きかったんです。敢えて16世紀、近世の始まる所ですが、日本の都市がどのくらいの大きさを持っていたかというと平均が3平方キロ、まあ3平方キロといいますと小さく感じますかもしれませんが、ヨーロッパのウィーンとか代表的な都市は皆2平方キロ以内です。
 岡崎もその平均規模もっているのですが、江戸は何と63平方キロです。これはローマや、フランス、スペインの都市を比較してみても比較になりません。せいぜい大きくて10平方キロです。10平方キロというのは日本で言えば中の大くらいですね。
 日本の都市規模というのは何故そんなに大きく16世紀に成長したかということを改めて考えてみますと、これはキリスト教の宣教師がローマ法王に報告しているんですが、日本人というのは非常に堅実で一見貧しいけれども、大変誠実で、算数ができて勿論字も書ける、都市環境が非常に綺麗で清潔だという事を報告している訳です。だから今までインドを通って東洋などで布教をしてきたけれども、日本人は今までの布教の精神では布教できない。

 改めて比較してみますと日本の都市は大変な近代というよりも現代の都市の先駆的な症状をもっていた訳です。ですから、日本は近世近代の区別が殆どされなくていいくらいにそのまま成長しました。岡崎も含めて現代都市は殆ど城下町から発展してます。そういうことを考えますと大変な都市文化を日本は世界的に持っていたわけですから、それを未来につなげる努力をしなくてはいけない。それにはどうすればいいかということを具体的に考えなくてはいけない。
 例えば岡崎の特色は何かという事を、尾張や江戸、駿府などに比較しながらそれぞれの特質を持って正に世界的な規模で新しい都市の発展を考えていく。例えば風景の問題一つにしましても、環境というベースには風景論もあるわけなんですが、実は昨日まで韓国に行ってきたんですが、韓国の風景というものが大変勉強になりました。
 日本の植民地時代に、韓国の文化というのは非常に問題にしなかった、敢えて否定していたんですね。その後改めて建築を含めて環境をどう作ってきたかということを調査しますと、例えば日本の茶道ですね、お茶の原形がどうも中世の韓国にあった。
 あえて韓国という言葉を使いますが、北朝鮮を含めて韓国にあったというのが最近の研究で分かってきました。というのはやはり中世以来東南アジアというよりもアジアを射程距離に入れて文化を直接持ってきているわけです。それが日本が近世で大都市化した原因ではないかという事を改めて考え評価している所であります。

 韓国の文化については最近やっと色んな政治的な枠がとれましたけれども、そういうことも含めてこの近くの東洋の原点というものをも考えたり、それから東南アジアをいわゆる南蛮といって軽蔑しておりましたけれども、東洋に色々な知恵、道教、儒教というような道徳とか倫理という大げさな言葉になってしまいますが、日常性をもった東洋の精神を家庭教育を含めて大学の教育の中で活かしていくことがなくなってしまうのではないかという危機感を持っております。
 21世紀に向かって日本は改めてそういう過去の遺産のを含めて将来に展望していく情操教育というと大げさになりますけれども、日常性をもった教育の中で生かしていく事が、特に教育の中で必要ではないかと考えておる次第であります。

【草間】 ありがとうございました。時間が大分超過しておりますのでこれで第二部をうち切らせて頂きたいと思います。ご質問は第三部の交流会で引き続きしていただきたいと思います。非常に時間が超過しまして司会の不手際がありました事をお詫び申しあげます。では最後に拍手をもちまして、パネリストの方々に感謝の意を称したいと思います。お願いいたします。どうもありがとうございました。

続いて竜美にて交流会開催