第4回産学研究会・交流会 会議録





平成10年度第4回産学研究会・交流会

開催日時:平成11年1月20日(水)14:00〜16:00 於:岡崎商工会議所中ホール
出席者 :45人。
コーディネーター:草間晴幸 大阪大学大学院助教授
   同    :服部良男 岡崎商工会議所情報化委員会委員長
内容:以下の通り。

「草間」
 本日は産学研究会の第4回目として、岡崎女子短期大学の中垣学長をお迎えして、「21世紀に求められる都市環境」と題してお話しをうかがい、引き続いて第2部として同大学の井口先生から「都市観光の拠点としての岡崎の可能性」についてご講演をうかがいます。今日は多くの方にご参加いただきありがとうございます。では中垣先生よろしくお願いいたします。

第1部「21世紀に求められる都市環境」
講師:岡崎女子短期大学 学長 中垣洋一氏

 ただ今ご紹介いただきました岡崎女子短期大学の中垣でございます。昨年4月1日より学長として微力ながら大学運営に携わっております。日頃は、商工会議所には学生の就職とか諸検定等でお世話いただいております。また、ご出席の企業の皆さんには学生が就職等でお世話になっていることと思います。この席をお借りして心よりお礼申しあげます。

 今日は大変広いテーマをいただいておりますが、自分なりに自然について触れてみたいと思っています。また今、岡崎の環境につきましては、審議委員会等で環境基本計画の案が検討されておりまして、この1月28日に市長に答申するところまでこぎつけて参りました。こんなことも含めてこれからの21世紀に求められる都市環境について少しお話しをさせていただきます。

 さて、今日ご出席の皆さんは今の問題ですと環境とか福祉、教育とかが大事なものとして捕えられている訳ですが、特に環境については意外に自然に触れない人が環境を唱えることが多いようです。そして、ごみ・廃棄物についても家庭からどの程度出ているのか分かっていない人が多い。非常に大事なことは実際に自分でやってみてそして考えることが欠けているのではということを最初に申しあげておきます。

 レジメに日本人の感性・日本人の心としての自然環境観と書かせていただきましたが、今日本人は本当に自然に触れて生活しているのかを考えていかなければなりません。外を見ると街路樹が植えてございますが、どういう木なのか、何故その木を植えなければならないのかを考えなければなりません。日本人の心を作ってきたのは日本の優れた四季に富んだ自然ではなかったのか。
 バブルの頃までは自然なんかどうでもいいんだ、生活を合理的にということで遮二無二国を豊かにしようとしてきた訳ですが、ここに来て環境ホルモンとかダイオキシンとかの問題が出てきました。

 やはり日本人の心と言った場合は花鳥風月、雪月花の心というのを抽象的ではあっても日本人の心を築いてきたものとして捕えておくことが必要ではないかと思います。また、日本人の心を代表したものとしては永平寺を建立された道元禅師の言葉が日本人の心の的を得ていると思います。「春は花山ホトトギス秋は月冬雪さえてすずしかりけり」つまり、日本人の心は自然と一体となった心が大事だと思います。

 この件については私が「花や樹に学ぶ人生の教え」という本を書いておりますが、簡単に触れて終わらせていただきます。

 『自然は日本人に日本人の心の原点に立ちかえることを勧め、花や樹の織り成す季節感に富んだ感性のいざないを行っている。その一本の花や樹であっても個性が有り生育環境に応じた生き方を強いられながら、環境に抗して自己の存在を主張しているのである。花や樹の生育にはどこか人間の教育や生き方と共通するものが感じられ、それらの栽培や生態の観察を通して花や樹から人生の生き方を教えられるのである。自然は人の心を開き自ずから素直な心に導いてくれるであろう。花や樹には心身を正常にさせて人の心を鎮静してくれる。』

 以上少し読み上げましたが自然と一体になるのは自然に触れる心が大事であるという気がいたします。
 また、貝原益軒も天気の良い日には外へ出て、花や木を愛でて、心を爽快にすることですと述べています。『天気和暖の日は、園圃に出、高き所に上り、心をひろく遊ばしめ、鬱滞を開くべし。時々花木を愛し、遊賞せしめて、其意を快くすべし。されども、老人みずからは、園囿、花木に心を用い過して、心を労すべからず。』と。

 もう一つ大事なことがあります。今子供たちの教育に最も欠けているのは命の大切さ、これを論理でなく、いかに体として分からしめるかということだと思います。日本人の心には野や山にある一木一草といえども心が宿されていることを常に子供達に教えていくことが大切だと思います。つまり日本人のもう一方の心は思いやりだということになると思います。
 この件について道元はこう言っています。「見るべし、聞くべし、経るべし」つまり経験すること、先程も申しましたが家庭の中でゴミがどれほど出るのか自分でやらないでおいて、ゴミを出すなと言ったところで説得力はありません。

 私は農学部の出身でして、口で物を言うとか考えるのは本当は嫌いであります。その前に実践はどうなのか。祈っても何をしても植物は出来ないんですよ。環境を考える時にいかに皆が実践できるようにもっていくかが大事だと思います。

 2番目のところは日本人の精神的文化に根ざした都市環境構想と書きましたが、これは先程のことと全く一緒で、いかに育てるかという問題にも関わってくるかも知れません。つまり思いやりの心ということになります。
 沢庵の「蓋し草木は無情にして、しかも華葉時を知る」という言葉をのせていますが、これは草や木は物を言わないけれどもそれに接している人間の心を通して物言わぬ心を感じ取ることが大事だということが盛られているのです。果たして我々はそうやってきたでありましょうか。私を含めて。つまり、文化生活を営むためもう少し欲望を達成するため遮二無二進んできたのではなかったのかという気がいたします。

 もう一つの言葉として「知足按分をいかに考えるか」ということになると思います。知足とは足らざるを知ることで、つまり環境を考える前に自らの欲望をいかにセーブするかが大切です。ですから例えばお金であれば自らの収入の中でいかにうまく使って生計を営んでいくか、これが出来なかったから今バブルがはじけてしまったのであろうと思います。
 つまり基本理念をどこに置くか。自分達の生活のところに置くのか、自然の中の一員、生物学的に言えば生態学の中で共生的に物を見ていくかどうかが問われているという気がします。

 また、木守りの柿と書いてございますが、これは平成6年の中日新聞夕刊にエッセイを載せておりますのでご一読いただきたいと思いますが、これは柿の実を少し残しておこうというという意味でございますが、今はただ面倒で柿の実を採らずにいるだけですね。思いやりなどはどこにも無いように思います。昔の人は自分たちが生きるために必要でも、次の時期のためにあるいは動物や鳥のために残すという思いやりを常に心に抱いていた。その心こそ21世紀の環境を考える上で重要なことでしょう。

 3番目に日本の歴史および自然景観を生かした都市環境づくりとして、歴史的風土や緑と水辺の文化の再構築と書いておきましたが、岡崎はこれらに恵まれた素晴らしい所だと思います。しかし問題はこれから開発と環境のバランスをいかにとっていくかです。
 後で井口助教授が詳しく講演してもらえると思いますが、私が思うには岡崎の欠点は国道1号線が街のど真ん中通っているのは環境の上で問題だという気がします。また、川があることも市長さんは困ったんだとおっしゃっていますが、私は使い方によって川があることは素晴らしいことだと思います。

 岡崎は水と緑豊かな自然に恵まれていることと、歴史と文化に富んだ街ということを考えていかなければなりません。ここ竜美丘あたりは、昔雑木林がいっぱいあった地域だったと思いますが、街のすぐ近くに小高い丘や山があって雑木林があるということは現在求められている里山ということで大事なものだったと思うのです。もう少し先見眼の有った人がいたらおそらくもう少しこの里山が残されたのだろうという気がします。

 歴史的風土という面から見まして都市景観環境審議会でもこれから考えていかなければならないことは、まず大樹寺から三門を通して岡崎城がきちんと見えるようにいかに建物を規制しながら景観を保存していくか、また最近問題になってきたのが矢作川からあるいは殿橋から岡崎城が一部隠れて見えないようになってきています。

 今有る建造物をどうこうしようとすることは出来ないと思いますが貴重な文化遺産のためある程度規制をかけなければと思います。今までの文化は日本人は自然と語らいの中で自分をあまり出さない言わば調和の文化だったと捕えられますが年々自己主張の強い文化に変わってきましたね。

 岡崎市の21世紀の環境についてこうしたいという時には、規制をかけなければならない面も多々出てくるだろう、その時に一般市民がどういう反応を示すかが問題となってくるでしょう。建造物の高さ規制、色彩、建物同士を連ねて一つの道とするような構想などの時に、個人の嗜好に優先した自然との共生できる環境都市をどう築くかが今後重要かつ難しい問題だと思います。

 さて、緑については巨木や銘木を大事にしようとする条例もございますがもっと、点から線として広げていくことが今後の課題だという気がします。一つは街路樹でしょう。道路を拡幅して緑のベルトとしていけるか、同時に国でも指導していますがビルの屋上に樹木を植えて緑を豊かにしていくことが重要だと思います。

 都市部に隣接する里山を大切にしていくこと、またそうしたものがなければ都市部では家が欠けた所へ人工的に里山のようなものを作っていくことが重要だという気がします。さらに河川敷と堤防をあわせて緑地帯としていくことも考えていく必要もあります。

 この面では菅生川が街の中に有るというのは素晴らしいと思います。人間が憩うのはまず緑、次に水辺です。伊賀川沿いは車を通さずに散歩道や自転車道にして伊賀八幡宮・昌光律寺などを散策できるようにしたいですね。さらに今は魚も住めないような川ですが昔のように蛍が飛び、魚もいるような心を豊かにするような水辺であって欲しいと思います。
 文化の面では徳川家康以来のいろんな文化がたくさんございますから、いかに岡崎市以外の人にPRできるかを考えていかなければなりません。

 4番目として、岡崎市の望ましい環境像としては、自然とふれあい、魅力的な自由空間をすごせる『環境共生都市』といたしました。5項目ございまして1.水と緑豊かな自然とふれあえるまちに2.安全で健康なくらしができるまちに3.歴史と文化を育む風格あるまちに4.地球環境に配慮するまちに5.環境を考え実践するまちにというものがあげられます。環境配慮指針としては自然環境や地域特性、環境と開発のバランスを考慮した施策が大事だということです。
 元の姿に戻すことは所詮できませんのでいかに緊張感をもったバランスをどこに置くかということになると思います。

 5番目に21世紀の都市環境は日本的調和の文化に根ざした自然との共生こそ大切と書きましたが、今までの自然保護はヨーロッパの対立の文化の中で計画的に作られてきたものだろうと思いますが、人間の欲求欲望にあわせるように計画的に自然を人間の方に都合良いように変えてきたという面も有った訳ですが、今はそれではいけないと良い面での自然保護がなされてきたとは思います。

 しかし、これから大事なのは、日本人の思いやりの文化、自然と一体となる調和の文化、これは何千年と弥生時代から育んできた農耕文化の中にそれはあったと思うのです。それをいかにもう一度原点に帰ってより優れた合理的な文化と調和して活かしていけるかが重要でしょう。
 一本の草にも仏様が宿るということをいかに実践の中で考えられるかということだと思います。

 私は今微力ではありますが岡崎の環境に携わっておりますので21世紀のあり方について自然の大切さ等について市政にも反映できるようにしていきたいと思っています。
 先般総合計画シンポジウムでも草柳文恵さんに申しあげましたが、菅生川に蛍が輪舞するような街にしたいなと思っています。皆さん方岡崎市の環境・行政・産業界で主導的役割を果たしておみえなので機会あるごとに啓発をしていただければと思います。

 私も環境審議委員として常に市政に反映していきたいと思っています。何か一つでも汲んでいただければありがたいと存じます。長時間ご静聴いただきましたことに感謝して終わらせていただきます。

「草間」中垣学長先生には生命の大切さから環境共生問題についてお話しいただき、またその観点から岡崎市が考えなくてはいけない点にも触れていただきました。どうもありがとうございました。もしご質問がございましたらどうぞ。よろしいでしょうか。では再度拍手を、もってお礼を申しあげたいと思います。

第2部「都市観光の拠点としての岡崎の可能性」
講師:岡崎女子短期大学 助教授 井口 貢氏

 都市観光の拠点としての岡崎の可能性という大きなタイトルを付けましたが、まずはお手許の資料を確認していただきたいと思います。レジュメが最初にあって次は去年出した著書から岡崎についてかなりのページを割いて書いた部分、岡崎のミュージアムマネージメント、特に岡崎市美術博物館はじめ五館と、民間の八丁味噌資料館、岡崎信用金庫資料館の二館についても触れております。

 随時ご参照いただくとともに帰ってからお読みいただければうれしく思います。それから二七市について書いていますが、そこでは司馬遼太郎の言葉が引用しておりますが非常に含蓄あるものですので気に止めていただければと思います。

 さらに学生とともに康生・伝馬地区を調査した結果を私の分析とともにまとめたものも付けてございます。それから新聞記事は昨年末に新しい観光創出というテーマで中日新聞広告局の企画製作で行った対談の一部です。これも少し参照していただくことになると思います。
 さて、レジュメのはじめに岡崎のエートスとございますが、これはおわりにのところに回しまして、2番目から話題を進めて参ります。

 都市観光の拠点としての岡崎の可能性ですが、最初に答えを申しますと岡崎はこの三河の地域の都市観光の拠点として十分に成り得る資質があるものと確信しております。
 都市観光と観光都市との間の差異と書いておりますが、これは観光の真の意味を考えた時に浮かび上がってくると思います。岡崎は観光都市かと問われると少し困ってしまいます。例えば金沢や高山は観光都市だと言えるでしょう。また蒲郡は明らかに観光都市でしょう。温泉もあり、アメリカズカップもりますから。

 それに比べて岡崎は観光都市というイメージでは若干弱いと言えます。一方都市観光という視点で岡崎と蒲郡を見るとはるかに岡崎のほうが都市観光の拠点として豊富な素材と資質をもっていると思います。

 観光という言葉の真の意味ですが、この言葉には両義性があります。すなわち観光という言葉を聞いた場合に良いイメージも悪いイメージもございます。例えば風俗営業のチェーン店が使うようなイメージも一方でありますが、中国の易経の中に、「国の光を観るには、もって王に賓たるによろし」という言葉を我が国では観光という言葉で使っている訳です。
 国の光を観るということはその地域だけにしかないかけがえのない文化を観る事だということです。そうすると、蒲郡と岡崎の違いを阿吽の呼吸で分かっていただけると思います。

 さらに言えば、例えば江戸時代からお伊勢参りや善光寺参りなど観光している訳ですが、これは非日常性を求めたものと言えますが、それに対して常在観光とは非日常性を求める訳でなく、どの街にも光り・文化は有るんだということです。

 つまり、観光とは常にどこにでも有るんだということです。都市観光とは常在観光の流れから生まれてくるものだと言えるのです。基本は北海道の人に岡崎に来てもらうのではなく、岡崎市民の人達がいかに岡崎市の光りを再確認し観光できるかということです。そして、三河の人達へというようにまず足元を固める必要があります。

 従って街づくりにも共通していくと思います。街づくりとは本当は他所から来る観光客に見せるためではありません。市民の人達がふと安らぎを感じられるスポットをいかに作り保全し育成していくかです。そういう喫茶店が有る、本屋さんが有るというのも十分都市観光なのです。だから、温泉がある、有名な神社があるから観光都市だという訳では必ずしもない、都市観光は違うということです。

 さらに、これからの時代は観光については経済の言葉でなく、文化の言葉で語らなければならないということです。例えば街づくりで成功している所を見ますと、結果論かもしれませんが文化による街づくりや観光振興策が結果として地域経済の発展を導いてきたと納得できるのです。
 経済の言葉で街づくりを語ると必ずしも成功していない。岡崎の場合も経済の言葉で語るよりもまずは素材に恵まれた文化の言葉で語った方が早道なのではないか。文化による街づくりは地域経済の発展と両立しうるということが最近様々な事例の中で分かってきました。

 具体的には長浜とか、湯布院ですがこの両者は街づくりの先進地といえ、視察が絶えません。こうした地域も最初は経済の言葉で語ろうとした訳ですが、地元の中小企業に有志や言葉は悪いですが遊び人くずれの人達が立ち上がり市民運動を起こした訳です。
 そして文化の言葉で都市の構築をし直したのです。そして結果として成功して今や大変大きな経済的な波及効果をもたらしている。長浜は彦根の駅前の再開発を真似て黒壁を取り壊し、狭い北国街道も拡幅しようとした中で、7〜8人が立ち上がった。
 最も有名な人は笹原さんというユニークな方ですが、会うたびに「わしゃー、黒壁に観光客など来て欲しくないわ。わしを嫌いなやつが観光客目当ての店をテナントに入れるので困ったもんだ。」と、言われます。彼は昔は高校野球の監督で2度甲子園へも行っているのです。

 もう一つ言えば、男の言葉でなく女の言葉で観光を語ることも必要だということです。因みに湯布院の場合、ゴルフ場の誘致計画を、東宝の映画の助監督をしていた中谷さん達がUターンしてきてゴルフ場誘致を止めた訳です。このゴルフで観光開発をしようというのも男の言葉・経済の言葉で語っている訳です。
 このご時勢温泉地で右肩上がりに客が増えているのは日本中で湯布院くらいのものです。湯布院は映画を呼んで芸術を呼んだのです。これに女性が魅力を感じ出掛け、さらに女が男を呼んできたとも言えるのです。

 長浜でも一部のガラス吹きの専門職以外は皆女性を登用しています。ですから30歳代の女性のマーケティング部長がいたりするのです。このように文化の言葉、女性の言葉で観光を語って結果として経済と男性が付いてきたという大成功の例だと思います。もちろん、問題点はどちらも多くありますが時間もないのでええここでは省略しておきます。

 さらに都市観光、アーバンリゾートというのはほぼ同義で使っていますが、岡崎の場合はあくまで蒲郡などと比べても観光都市という意味でははっきりいって負けます。都市観光という視点では絶対勝ちます。
 そういう意味で捕えた場合はマスツーリズムではなくオルタナティヴツーリズムの視点で考えなくてはいけません。これは1980年代初頭にグレーマン博士というアメリカの観光学の研究家がその論文の中で使った言葉で、選択の余地のあるもう一つの旅行とも訳しますが、どうもぴったりした日本語がなく英語をそのまま使っているようですが。

 ここで出てくるのが、リゾート(滞在型の心の豊かさを感じるような旅行)、エコ(エコツーリズム、環境の大切さを旅行を通じて知ろうとすること)、ヘリテッジ(辺境地とか農村、田舎を楽しむ)がオルタナティヴツーリズムの対象となるのです。これを日本語で提示してみますと、保全、育成、付与と言えると思います。

 都市観光、例えば岡崎とか地方の中小都市独自の歴史的な文化、環境に触れる旅行はまさにオルタナティヴツーリズムと言えるのです。それから、産業観光、生活観光、まちづくり観光は都市観光の流れの中で捕えることができるものと考えます。
 愛知県は産業観光に大変力を入れておりますが、物づくりの拠点でもある当地域において物づくり(産業)と観光の交流と、定住者(地元にいる人)と漂泊者(他所から来た人)の交流も観光の大きな醍醐味と言えると思います。

 産業観光の視点から都市観光を考えれば冒頭に申したように岡崎はその宝庫であろうと思います。例えば、八丁味噌、三菱自動車、石工団地、岡崎信用金庫資料館を一つ一つとらえると産業観光のスポットはたくさんございます。
 例えば最新号の「東海ウォーカー」では無料で遊ぼうという特集があって多くのスポットが紹介されていますが、これは都市観光・産業観光の拠点に成り得る所が宝庫のように思います。ちなみに八丁味噌の資料館が半パージの大きさで紹介されています。

 私の著書の中で岡崎のミュージアムマネージメントについての部分を紹介しましたが、その中にもこの八丁味噌の資料館のことも書いておりますが、都市観光・産業観光の拠点でもあるここから、板屋町を通って岡崎公園から康生までやってきて都市観光をするような回遊するシステムを作れば大変面白くなると思います。
 その意味で観光の世界でレトロフューチャー、温故知新が話題となっていますが、そこを売っているのが彦根のキャッスルロードで、江戸時代の街並みを再現、復元して今後の彦根の観光や都市のあり方を探ってみようとしています。

 生活観光では例えば二七市の写真を本の中にあげていますが、さらに和蝋燭とか三河仏壇とかは、産業観光であると同時に岡崎の生活文化を象徴するスポットであり、こうした所を訪れるのは地域内・地域外の人にとっても一つの生活観光として大きな情報発信をして見に来てもらったら良いと思います。

 さらにこうしたキーワードで他の府県、地域と広域連携を取っていくことも出来ると思います。例えば二七市をキーワードに輪島や高山と、和蝋燭や仏壇というキーワードで彦根などと広域連携を図ることも出来ると思います。

 街づくり観光という視点ではおもしろ館は今は補助金を消費しているだけというと語弊がありますが、4月以降も継続した活動、運動として残していって欲しい。次はそれで地域経済を活性化させる、言葉は悪いですがそれで儲けようじゃないかという活動にすれば、街づくりのスポットになる。そして足助や新城、長浜などと連携を持って三州足助屋敷の職人さんのアンテナショップを置くとか、黒壁の笹原さんはもしかすると出資してくれるかもしれません。
 産学官市民4者の協調関係が街づくりに大きな成果をもたらす気がします。

 これに関係した話で桃太郎の論理というのをお話したいと思います。門外漢ではございますが21世紀型の中小企業や中小都市の経営について考える時、桃太郎の論理が必要なのではと思います。
 それは何かと申しますと、桃太郎は猿と犬と雉というバラエティー・個性溢れる小さなお供の動物を引き連れて大きな鬼退治に出掛ける訳です。

 お供が猿と犬と雉であった意味は、猿はすばしっこくて人まね上手で、情報を巧みに集め伝える事が出来るアンテナショップ的な動きが出来る。犬は同じ様な動物では猪では猪突猛進で前しか見えない、猫は縁側で昼寝をしてしまう、機動力を持った犬が良いと言う訳です。しかし犬猿の中と言われるように仲が悪い訳ですが最初は仲が悪くても個性を認め合って協力し成功に導く訳です。雉は飛ぶ事が出来て高い所から物事を見られる。ではカラスやツバメではなぜだめかというと、黒一色で個性が無い。雉は羽根の色がそれぞれ違って判別しやすく個性がある。
 そして彼らは何で動いたかというときび団子というローコストで小さな物でしたが、そのきび団子は大工場で大量生産されたものではなく、おばあちゃんの手作りだったという訳です。

 もう多くは申しませんが地方の中小企業や中小都市が桃太郎の論理を目指すべきだという雑感がお分かりいただけたと思います。そこでOMNI志向型とは(Oはオリジナリティー、Mは足元のマーケティング、Nはネットワーク・異業種間の交流、Iはイノベーションとインフォメーション)で、桃太郎のお供はそれぞれ役割分担してネットワークを形成していることがお分かりと思います。

 最後に岡崎のエートスというところでまとめとしたいと思いますが、豊橋と浜松を念頭においてと書いておきました。何年か前に豊橋の方で出ている新聞で読んだのですが、コラムに100万あったらどうするかという喩話ですがこれは巧みに岡崎と豊橋と浜松のエートスの違いを表現しているなと思いました。
 エートスとは簡単に言ってしまえば気質ですが、そのコラムは岡崎市民は100万をたんすの奥にしまいこんで日向ぼっこをしている。豊橋市民は50万だけたんす預金をして残り50万で50万円分の仕事をする。浜松市民は100万を担保にしてもう100万借りてきて200万の仕事をすると書いてありました。
 こうしたことは長浜と彦根にも言えて、長浜はどちらかと言うと浜松型で、彦根は岡崎型と言えるのです。金沢、高岡でも似たようなことが言え、金沢は一概には言えませんが前田家直系の市民と高岡を比べると同じ様な事が言えるのです。共通して言えるのは祭りだと思うのですが、江戸時代から続いている祭りが有るかどうかがキーワードとなってくるという気がします。

 良くいえば保守的で慎重だという部分が、岡崎や彦根や金沢の一部には存在している訳ですが、それが良い面もあるかと思いますが、逆にライバルの街に負けてしまっている面もあるかもしれません。そうした、エートスの高揚、市民性の高揚、ハンディを逆手に取ってそれを武器にしてしまうとかという面が見られれば良いと思います。

 例えば康生地区には駐車場が無いと言われますが、駐車場が無くてもバスでも来てくれる何かを作れば良い訳です。現実に長浜はそれで成功しているのです。それから大変残念なのは板屋町にあったダンスホールをつぶしてしまいました。
 あるいは、三龍社のレンガ工場を壊してダイエーになってしまいました。これらはレトロフューチャーと言われるこの時代からとらえると大変もったいないと感じます。三龍社の工場をいかして中だけ改造してダイエーが出店してくれたら良かった訳です。
 ダンスホールも残していれば、ダイエーで都市観光をして、板屋のダンスホールで都市観光をして岡崎公園へ行って家康のやかたを見て、公園で遊んで、菅生川に佇んで、そして康生で何かインパクトの有る事をやれば大変面白く繋がっていったのですが。

 今となっては覆水盆に帰らずで仕方ないのですが、これからは一つの課題、教訓としていけば、最初にも申しましたように岡崎は風光明媚でヒューマンスケールな街で素材は富んでいるので、活用していけば金沢や高山に負けないような都市観光のメッカができるような気がします。
 金沢や高山はある意味では東京に劣らないような情報発信をしており、桃太郎的戦略で東京に負けていない訳です。

 そういう意味では、岡崎も桃太郎的戦略で東京には無い物、素材を活かして頑張っていただければ、冒頭に申しましたように三河地区のあるいは愛知県の都市観光の拠点になりうるに違いないと確信しましてつたないお話しを終わりといたします。

「草間」
 大変楽しいお話しでためになり、前半では蒲郡と岡崎を比較され、観光要素を活かすかどうかは、経済用語ではなく文化的用語で語らなければならないというお話しでございました。
 三段論法的に考えますと結局岡崎には文化が無いのではないか。後半では岡崎にはエートスが無いのではないか。と、いうことで無い無いづくしの街だということになってしまい、岡崎市民としてもう少し考えなくてはいけないのかと感じました。ご質問もあるかと存じますが、時間になりましたのでこの後懇談会もありますので質問のある方は懇談会の席でお願いいたします。

 拍手をもってお礼を申しあげたいと思います。どうもありがとうございました。
                             16:00(終了後、交流会を開催)                                         以上






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