第2回産学研究会・交流会 会議録





平成10年度第2回産学研究会・交流会

開催日時:平成10年11月18日(水)14:00〜16:00 於:岡崎商工会議所特別研修室
出席者 :27社、33人。
コーディネーター:草間晴幸 大阪大学大学院助教授
内容:以下の通り。

「草間」コーディネート活動支援事業は2つの柱がございまして、1つは新事業創出研究会で、もう1つがこの産学研究会です。第1回は10月21日に愛知学泉大学において、同大学家政学部教授の小川宣久先生から、「経営革新と連結の経済性」についてご講演をいただきました。第2回目の本日は岡崎学園国際短期大学のお2人の先生からご講演をいただくことになっております。では第1部として、日本語教授法をご担当の文野先生から「国際化時代のストレス対処法」と題してご講演をよろしくお願いいたします。

第1部「国際化時代のストレス対処法」
   講師:岡崎学園国際短期大学 教授 文野峯子 氏

 今日は国際化時代のストレス対処法という演題をいただいておりますが、普段の会社やご家庭でのコミュニケーションについて、皆さんにも参加していただきながら進めてまいります。
 考え方や価値観が異なる人との言葉によるコミュニケーションで有効な方法は、アクティブ・リスニングと「わたくし文」で話すという2つがあります。

 グローバライゼーション(地球化)という言葉がありますが、今日本には登録をしている外国人だけでも150万人弱いますが、近い将来は我々の日常生活の中でも、10人に1人ぐらいは外国人がいるようになるだろうというほど地球化は進んでいます。
 何も外国人と話すことだけでなく、違う意見を持っている人と話すことは、家庭においては親子の断絶があったり、会社では管理をする人と新人類と言われるような新入社員や若手の社員がいたりして、日常的な事柄になってきました。

 これに対処するには、訓練によってコミュニケーションスキルを身に付ける必要があります。
   日本語は分かり難いというのが国際的にもよく言われることですが、何が難しいかというと、こちらが意図したことを相手が分かってくれないという状況があるからです。

 古い話ですが、日本の首相がアメリカで大統領との交渉時に「前向きに善処しましょう」と言ったことを、通訳が「考えておきましょう」と訳して伝えたのですが、同席していた日本人は皆、「首相は断った」と理解していたのですが、2週間ほどたってから、国際電話で、アメリカ大統領から、「あの件はどう考えていただきましたか」と問い合わせがあったということがございました。

 日本人の多くは、相手に少ししか話さない、相手も話しが終わらないうちに、「そうそう、私も…」などと、口を挟んだりする事が多く、あの人ならこういうことをしゃべるだろうとか、きっとこういうことを話すのだろうと勝手に想像したり、察したりしてしまうのです。

 こんな話もございます。隣の家の金木犀がきれいで香りも良かったのでその家の奥さんにそう言ったら、次の日に枝がばっさり切られていた。相手の奥さんは枝が隣の家にはみ出していて苦情を言われたのだとばかり思い込んで枝を切ってしまったという訳です。
 これは、言う方がきちんと言語化しなくて、聞く方も勝手に理解してしまうことから起きた事柄です。このように、間違った理解があると後々の人間関係にも影響を及ぼしてしまうものです。

 アクティブ・リスニングを心がければ、相手は「この人は私の言うことを理解しようとしてくれている」と感じます。こうした作業により、対立の意識が弱まり、むしろ協力して問題を解決しようという気持ちがうまれます。解決できる問題も、相手の言い分を正確に理解しないと解決できなくなってしまいます。

 オレンジ紛争という例がございますが、これは1つのオレンジを2人がとりあった例です。解決法としては、1人が取って1人は諦める方法、半分ずつにする方法がまずありますが、これは両方ともお互いに不満足が残ってしまいます。お互いに自分の目標を達成する(Win−Winの結果を得る)ためには、1歩引いて相手が本当に欲しい物、目的とする物を良く聞いて、自分の言い分も良く説明する必要があります。このケースでは、本当は1人はオレンジジュースが、もう1人はマーマレードが作りたくて皮が欲しかったということで、お互いに1つのオレンジを分け合ったのでした。

 アクティブ・リスニングのテクニックには1.相手の言葉をそのまま繰り返す。これは相手がばかにされていると感じることもあるので、多用は禁物です。2.最も重要な部分や話し手の感情を別の言葉で言いかえる。これが、アクティブ・リスニングの神髄です。3.不明瞭な部分を明らかにする。4.話し手も整理しやすいようにまとめる。5.話題がそれた場合、本題に戻す。6.黙って聞く。以上の6つがあります。

 次に「わたくし文」の練習をしましょう。わたくし文とは、断定的な意見を押し付けたり、アドバイスしたり、一方的に結論を出すような言い方でなく、相手を責めずに、相手の自発的行動を促すことがポイントです。具体的には、1.否定的な表現は避け、肯定できることは積極的に肯定する。2.行き詰まったときは、その時点まで交渉してこられたことを評価する。3.相手の努力を評価するなどあくまで肯定的に対処する。4.相手の面子をたてて人間関係を維持し、交渉が継続できる手がかりは残しておくことでしょう。
 今日はあまり役に立つお話ができなかったかもしれませんが、最後にご質問があればお受けします。

「草間」先程「前向きに善処しましょう」という言葉が出ましたが、これを正確に英訳するとどうなるのでしょうか。

文野:私は10年程アメリカに住んでいましたが、こんな曖昧な表現は英語にはないので訳せないと思います。この例では通訳がノーとはっきり伝えるべきだったと思います。
 アメリカ人の研究者に、東洋人の論文は訳が分からんとよく言われます。日本語の特徴で起承転結の構成をするので結論は最後まで残しておく、さらに転の部分は全く前後との脈絡が無くて新しい項目が突然出てくるという訳です。

 日常の会話でもよくありますね。会社でもこんな例がありませんか。日本人は「今日帰りに一杯どう」と誘われると、「いいね」「いいね」を連発して最後まで、行くのか、行かないのかさっぱりわからんという状況がおありでしょう。

「草間」ありがとうございました。では引き続いて第2部として同大学教授で日本近世教育史をご担当の川口先生から、「吉田松陰教育の現代的意義」と題してご講演をお願いいたします。

第2部『吉田松陰教育の現代的意義』
   講師:岡崎学園国際短期大学 教授 川口 雅昭氏

 きょうは徳川家康公の生まれた土地で、お話をさせていただく機会を与えていただきまことにありがとうございます。

さて、吉田松陰先生の教育を考える場合、問題となるのは嘉永4年から安政6年まで、ちょうど松陰先生が22歳から30歳までの時期であります。 松陰先生は初めて生活者として江戸に出るのですが、しかしここで注目すべきは、長州藩のエリートであった松陰先生が江戸では「落ちこぼれ」ていることです。
 しかし、約6ヵ月後には、長州藩の学問を「固陋」と批評するまでの立ち直りを見せるのです。どうして、たった6ヵ月という短い期間で立ち直れたのか、それは幼少より学問の目的および「基礎学力」を教え込まれていたからです。松陰先生にとって学問とは人が人たり得る、唯一の道であった訳です。

 しかし、ここで注目すべきは彼の行った形態がまさに、現代の教育学においても、教育目的かつ教育方法の中心とされる「自己教育」だったことです。
 自己教育とは、「学習者が自分で自分を教育するという自覚を持って、学問の追求、人格の形成などを行うこと」でありまして、分からなくなった時などに指導してくださる先生の存在が必要とされるものです。
 似たような言葉で独学とか自己学習というのがありますが、指導者の有無においてたった一人で学ぶ独学と違い、また、精神的価値のそれにおいて、自己学習と区別されるものです。

 さて、歴史は嘉永5年、松陰先生を被教育者から教育者とすることになります。彼はいかなる教育を考えたのでしょうか。それは、己の経験を振り返り、最も是としたのは己の被教育者としての体験であり、また、自己教育だったはずです。そして、松陰先生の教育が始まるのです。
 彼は門人に基礎学力および学問の目的を教えることに集中します。また、江戸などへ遊学する門人に紹介状を持たせることを忘れない。

 遊学先で門人達はかつての松陰先生同様「落ちこぼれ」るのですが、学問の目的および基礎学力を身に付けているのであれば、彼らは自ら自己教育を開始し、教育方法を自得したはずであります。学問に行き詰まった時の先生には、すでに松陰先生が紹介状を持たせていたのです。
 と、すれば彼ら門人達は安政6年、松陰先生が刑死しても己の学問を継続することが可能だったはずです。そして、彼らの中から明治日本が誕生するのであります。

 さて、松陰先生の教育を考える場合、もう一つ見落としてならないのは、野山獄での同囚を相手とした獄中教育です。安政元年、松陰先生が入獄した時、そこには十一名の人間がいました。長い者は数十年、いずれも明日に何の希望も見いだせないまま、世間から放擲された人々でありました。

 松陰先生が教育者としてどうして偉いのかと申しますと、こうしたやる気の無い人間をやる気にしたことであります。ここで松陰先生は「一本釣り」を行うのです。同囚のうち、河野数馬、吉村五明に目を付け、彼らを先生として俳句、習字の勉強会を開始するのです。
 俳句、これは己の胸にある想いを文字にするのだから同囚は熱中する。そして、昨日まで無為に消日していた二人の変容は他の人々の心に灯をつけたのでした。
 そして、松陰先生は入獄後約6ヵ月の後には彼らに『孟子』の講義開始を要請させることに成功するのです。これは安政三年十二月、松陰先生出獄後は兄の杉梅太郎および実父杉百合之助らが最初の「生徒」となり継続されるのです。

 そしてこの時の講義ノートともいうべきものが、松陰先生の主著と言われる『講孟f記』です。
 以上より、吉田松陰先生の自己教育および「一本釣り」等の教育方法は、現代の「ひとりひとりを生かす」教育においても最も基底をなすものということができるのです。

 私も山口県の宇部高校教師から田舎の高校の教師として赴任した時に、ほとんど勉強をしたことが無い生徒を一本釣りして徹底的に補習などをしながら勉強を教え、国立大学へ入学を果たし、生徒ともども大変感動したという経験もございます。
 時間も参りましたのでこれで終わりたいと思います。
                                         16:00終了

*第3回産学研究会は12月16日(水)午後2時〜4時まで岡崎商工会議所2階中ホールで開催する。
                                           以上                                       






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