コーディネート活動支援事業キックオフセミナー基調講演 会議録





コーディネート活動支援事業キックオフセミナー基調講演
開催日時:平成10年10月29日(木) 14:00〜15:20 於 岡崎商工会議所中ホール
出席者 : 75人。
【事務局】 定刻になりましたので開催させて頂きます。今日は駐車場が一杯で大変ご迷惑をお掛けしました。謹んでお詫びを申し上げます。それからセミナーの時間中は恐れ入りますが携帯電話のスイッチはお切り頂きようご協力をお願いいたします。それでは、主催者の岡崎商工会議所牧野専務理事よりご挨拶を申しあげます。
【牧野専務理事】 皆さんこんにちは。ご紹介頂きました当商工会議所専務理事の牧野でございます。本日はコーディネイト活動支援事業のキックオフセミナーに多数の方々がご出席頂きましてありがとうございます。
 現在、国では提案候補型補助事業と言いますか、色んな提案を受けて優れた計画に対して補助金を付けようと、従来型のこの指とまれという方式の制度から変わってきています。
 この新規成長産業連携支援事業は、今年度スタートしまして、全国から応募が150数団体出たと聞いておりますが、その中で50数カ所が指定を受けた。その1つに岡崎商工会議所が選ばれた訳でございます。
 今年度と言いましても実際に実施団体に内示がございましたのが、極めて最近のことでございまして、このキックオフセミナーも年度の後半からスタートし、これから先非常に間を詰めた事業計画を一杯抱えているわけでございます。そのスタートとして今日、産学協調活動と地域の活性化という大きなタイトルでもってセミナーを開催させて頂きました。

 岡崎商工会議所は従来から、新規産業の創出研究会や情報化の研究会、産学官の協調、連携、組織、三河スマートバレーネットワーク、或いは市内の大学をネットワークする岡崎大学懇話会を組織してきました。また、いち早く愛知産業大学とインターシップ制度との契約を行い8月、10月に学生の職場体験をしていただくような事にも乗り出しております。こうした様々な活動をコーディネイトする事がこの事業の目的でございまして、岡崎商工会議所の情報化委員長の服部良男氏並びに大阪大学の助教授の草間先生のお二方をコーディネーターとしてこれから諸活動を展開していこうと思っております。
 そのキックオフセミナーとして、まず第1部は基調講演『新産業の創出と日本経済の再生』という演題で、名古屋大学経済学部長の奥野先生からお話を承りたいと思います。1時間の短い時間ではございますけれどもご静聴をお願いいたします。尚、先生のプロフィールは印刷物に簡単にご紹介してございます。細かい説明につきましてはコーディネーターの服部さんからご紹介を頂く事になっております。どうもありがとうございました。
【事務局】 続きまして本事業のコーディネイターの服部良男様から講師のご紹介を兼ねてご挨拶頂きます。
【服部】 皆様こんにちは。本日はお忙しい多数の皆様方にお集まり頂きまして誠にありがとうございます。先程ご紹介頂きました今年度コーディネート活動支援事業を大阪大学大学院の草間先生と担当する事になりました、岡崎商工会議所の情報化委員会を担当しております、服部良男でございます。  今年度の事業の始まりとしてこのようなキックオフセミナーを開催し、充実した活動が出来る事を願っております。今後皆さん方には色んなお呼びかけをしたいと思います。
 今日の基調講演『新産業の創出と日本経済の再生』の奥野信宏先生をご紹介いたします。
 先生の現職は名古屋大学経済学部教授、経済学部長で経済博士でいらっしゃいます。ご専門は公共経済学、理論経済学という事でございまして、我々の目指している岡崎地域の活性化に関し貴重なご意見が頂ける事と思っております。最後まで短い時間ではございますが、ご静聴よろしくお願い致します。

【奥野】ご紹介頂きました名古屋大学の奥野です。今日は新産業の創出がこれからの日本経済でどういう意味を持っているかという事を中心に、1時間ばかり話をさせて頂きたいと思います。のちほど4人の先生方のパネルディスカッションが本番でございまして、私はその露払いをしっかりと努めさせて頂きます。
 皆さんご案内のように日本経済は大変調子が悪いわけで、景気のピークは昨年の3月、従ってもう1年半程景気の後退が続いております。これは景気の後退期としては非常に長い事になっています。この前は93年10月を底に昨年3月まで大変長い景気の拡大期がありました。これは3月で終わった訳でありますが、5月までもう2カ月拡大を続けていれば戦後3番目に長い拡大期でした。
 1番長かったのはいざなぎ景気といいまして、東京オリンピックの後5年近く続きました。2番目が80年代の終わりの平成景気の4年半。3番目に長かったのが、昭和33年からの岩戸景気です。これは3年半続きました。高度経済成長の走りであります。
 成長率を見ますと、昭和40年代のいざなぎ景気は10%平均。それから平成景気の時には5%。この前の93年10月〜昨年3月までが2.5%、まあ半分半分ですね。2.5%は低いじゃないかとおっしゃるかもしれませんが、日本の経済水準とかもトップまで来ている中での2.5%は大した事であります。
 日本が5%や7%を提供しますとですね、世界中日本になってしまいます。じゃあ2.5%提供したんだからあれに戻ればいいかというと、そうではございません。昨年の3月をピークに景気が後退した理由として良く言われますのは、消費税を3%から5%に上げた。社会保険料率を引き上げた。特別減税をうち切った。それで景気は後退に向かった。

 政策の失敗が作った景気の後退である。或いは政府が政策の参入を間違えたという言い方をしてもいいんですが、しかし基本的な問題は別な所にあると思っております。
 93年10月〜昨年3月まで3年半近い景気の拡大が続いた訳でありますが、普通は景気が悪くなると政府は金利を緩めたり、財政支出を増やしたりして需要を付ける。需要を付けますとそれが民間の経済を誘発して経済の技術的な開発に向かう。こういう事なのですけれども、93年10月から昨年3月までの景気の拡大を見ますと、なかなか民間に火がつかなかったんです。問題は、なぜ政府があれだけ財政を支出したにも関わらず民間の経済活動がついてこなかったかという所にあると思います。

 私はその1番大きな理由というのは戦後の半世紀に経済発展を支えて参りました日本の仕組みが崩壊してしまった。崩壊して新しい芽は一杯出てきているのですが、それが定着していない。そこが1番大きな原因ではないかと考えております。
 例えば雇用慣行ですが、年功序列と終身雇用は日本の代表的な雇用慣行で、これが日本の産業の強さの秘密であるというふうに言われてきました。年功序列・終身雇用といいますのは経済が高い率で成長していて、若年労働率が高い時には合理的ですけれども、若年労働率が低くなってくると企業にとっては邪魔でしかない。今、年俸制がどんどん進みつつあるわけですが、まだしっかり定着していない状況ですね。
 それから金融制度もそうであります。銀行は潰れないという事で来たのですけれども、ビッグバン自由化の前にはそういうことは全くないとは言えない状況になってきました。
 行政機構もそうですね。中央省庁見直しが行われておりますし、地方分権等々も見直しが行われている。それから高齢化社会への対応という事も言われるのですがなかなかうまく出来ていない。信長が本能寺で最後の能を舞った時には人生50年、今や人生80年。よほど特別な人は別でありますけれども、60歳で会社を辞めてあと20年何をやるのか出来る事は2つしかない。体が動けばゲートボールをやる。体が動かなきゃ福祉の世話になる。自分は元気だし働きたい。シルバーセンターに行ってもろくな仕事がない。3Kばっかり、炎天下の草むしりとかね。じゃあゲートボールやりに行こうか、でも今度は足がない。名古屋みたいな大都会に住んでいれば別ですよ。例えば岡崎、これは公共交通が無いに等しい。1時間に1本、2本のバスがあればいい。これはまあいい方ですね。名古屋でもちょっと周辺部に行くと本当に1時間1本のバスを何とか確保しているというくらいで、動こうにも足がない。

 社会資本の面でもそうなんです。港とか空港、少し大きな社会資本を考えてみますと、名古屋港は日本の港の中で製品、半製品の取扱が1番大きな港です。日本の工場と海外の工場の間を物が行ったり来たりするには港は通って行くんです。ですから港というのは製造工程の一部と考えられますが、超大型コンテナ船に対応出来る港などのハードがきちんと出来ていない。
 それからソフトが悪いというのもあります。ソフトが悪いというのは使い勝手が悪いのですね、例えば24時間運用していないということですね。コストが大変高いんです。ハードもソフトもない。その結果どうなったかといいますと、かつては世界の海運というのは神戸・横浜というのが基軸でありまして、まずそこに寄って適当な船に移し替えてアジアに配る。今は違うのですよね。香港とかシンガポールに大きな港・コンテナがある。そこで荷物を降ろしてから軽くして適当な船に積み替えて日本に来ている。日本の港湾というのはハブ機能を無くしている。

 空港もそうですね、ハブ機能を無くしている。成田は滑走路1本、関空も1本。中部国際空港も2005年には開港すると思うのですけれども、これも滑走路1本。これではハブ機能は生じません。空港や港湾がハブ機能を持つのがいいかどうかというのは色々議論もありますが、ハブ機能を持てば人や物が集まりますし、人や物が集まれば情報も集まります。
 例えばアトランタの空港なんか典型的じゃないかと思うのですが、あそこは南部の大変な田舎町ですね。あの田舎町で何でオリンピックが出来たのか。あそこはデルタ航空のハブ空港になっています。乗り継ぎに物凄く便利のいい空港です。どこに行くにもデルタ航空を利用するのであればアトランタ。これは乗り換えてアメリカのあちこちにあるいは世界中に行けるということです。人や物が集まってくる。人や物が集まると情報が集まってくる。日本は製造業が空洞化するだけじゃなくて、情報まで集まらない。だんだんアジアの奥座敷になってしまうという気がしているわけであります。

 日本は戦後の発展を支えてきた仕組みが崩壊したということを申しあげましたが、大学もそうであります。今日は大学の学長の先生が沢山いらっしゃいまして、皆さん方が大学をお出になられた頃には、学部があって上に大学院がのっかっていたり、のっかっていなかったりしたんですが、今は違うんです。
 国立大学にはどこの大学でもちゃんと研究していようが、していまいが、教育をしていようがしていまいが同じように予算が来るとのお考えかもしれませんがそうではございません。文部省は国立大学についても各学部毎に採点し、成績を付けているのです。研究はどうか、教育はどうか、運営はどうか、社会的活動はどうか。成績を付けまして傾斜配分をしているのです。
 文部省はこの成績を見せないことになっているのですが、学部長をやっていると分かるものでして、名古屋大学工学部というのは多分全国の全工学部の中でいつも3位くらいには入っているのではないでしょうか。それから名古屋大学経済学部も、人文社会科学系全学部の中でいつも5番目に入っている。それがどうしたって言われても困るのですが、まあそれぐらいに一生懸命やっているという事なんです。これで予算が1割は違って来る、十分傾斜配分になっていて大学も随分変わってきているということです。
 日本はこういう風に戦後の発展を支えてきた仕組みが崩壊した。新しい芽はいっぱい出ているけれどまだ定着していない。その事が政府がいくら需要を付けてもなかなか民間の方に火がついてこない、私は基本にはこうした流れがあるのではないかと思っております。

 それでは、強い経済をどう構築していくかということであります。マクロ経済の需要サイドというのは、まず第1番目に消費者は旺盛な消費欲求を持っているかどうか、企業の投資マインドは強いかどうか、それから政府の公共投資はどうかなど。供給サイドというのは何かといいますと、1つは労働力に関する事で、労働力そのものが増えているかどうか、それから勤労意欲はどうか、労働者の能力を活かすような環境があるかどうか。2番目は資本に関する事で、新しい機械が備わっているかどうか、能率がいいか。それから投資をするのに十分な貯蓄が国民経済にあるかどうか、これも大事な事です。3番目は社会資本であります。4番目が研究開発が十分に行われているか、それから新しい産業がどんどん生まれてくる、そういう環境が整備されているか。こういった労働に関すること、資本に関する事、社会基盤に関する事、それから研究開発とか地域産業とかこういう事が供給サイドであります。

 日本の戦後の展開をずっと見ていますと日本は大変供給サイドが強かった。欧米はどうかといいますと、アメリカ、ヨーロッパは70年代に供給サイドが弱くなった。勤労意欲に問題が出てきた。設備投資がきちんと行われなくて、機械が古くなってくる。社会資本がアメリカでも完成した橋が突然落ちてしまうとか、ニューヨークの地下の水道やガス管が風船のように破裂したとか、社会資本、供給サイドが低い。アメリカではレーガン政権の時に規制緩和競争で供給サイドの強化という事をやりました。イギリスでもサッチャー政権になってから国営企業の民営化をして供給サイドの強化という事をやりました。
 日本はどうだったかといいますと供給サイドは強かった。勤労意欲も問題なかった。ところが90年代になって供給サイドに問題が出てきた。今は需要サイドも大変弱くなっています。しかしこれは基本的に弱くなってどうしようもないということではないのです。
 これはどういうことかと言いますと昨年4月に消費税を上げて消費者の特別減税をうち切って社会保険料を引き上げた。消費は落ちたのです。落ちたのですが、6月に戻ってきたんですよ。しかしそこに今度は金融不安が起こった。北海道拓殖銀行とか山一証券とかの問題。さらにそろそろ落ち着いてきた所に今度はアジアの金融不安が起こった。アジアの金融不安も底をうったかなと思った頃にロシアの金融不安が起こった。色んな外的な負の要因があって重要が伸びてこない、というような事情でかなり一時的な要因だとい思います。

 日本は1人辺りの所得は世界のトップクラスの中のトップクラスで、個人資産が1200兆円あります。対外債券は9000億ドルある。これは世界最大。アメリカはマイナス9000億円ですからね。ですからお金は有り余る程あるのです。あるのだけどもこれが回らないですね。個人がタンス預金をしているだけではなくて、銀行もタンス預金をしている。皆んながタンス預金をしているからお金は回ってこない。そういった事さえ落ち着けば需要は出てくる。長期的には供給サイドをどう強化していくかという事が1番大きな問題です。
 需要サイドと供給サイドは良く競馬に例えるのですが、供給サイドは馬で、需要サイドというのは騎手なんです。騎手は馬が強い時には手綱を緩めたり締めたり、時には鞭を打ったりしながらうまく馬をゴールに向かって走らせる。馬がへばるとその騎手の手綱を締めたり緩めたりというのが政府の相乗管理政策ですね。馬がしっかり走っている時には、騎手の手綱さばきは大変有効ですが、馬が一旦へばってしまうとどんなに騎手が手綱をバタバタしてみてもどうなるもんでもない。日本の90年代というのは正にそういう状態になってしまっているんですね。さらに最近は騎手もへばってきていますね。ただ騎手は少し栄養をやればすぐに回復してくるわけですが、馬の方はだいぶ長い時間を掛けてやらないとなかなか戻ってこないということであります。

 馬の方を強くする1つの問題が新産業の創出であります。最近不況で廃業したり倒産する企業が多い訳ですが、日本の企業の開業率と廃業率を見てみますと、開業率といいますのは、分子が新設の事業所数で分母が期末の事業所数、それから廃業率というのは、その期間で廃業した事業所数を分子にして、期末の事業所数を分母にする。これを統計に見ますと、昭和61年から平成元年の頃、日本全体で見ましても開業率の方が廃業率よりずっと高いんです。ところが平成3年から6年になりますと、全国では廃業率のほうが開業率を上回るんです。ですから新しく出てくる企業よりも潰れて廃業していく数の方が多くなってしまう。平成6年から後になりますと更に廃業率の方が開業率を上回っている。僅かにこの中部地域でいいますと、愛知県は今も開業率の方が廃業率よりも高いですが、その差は段々縮まってきております。これではなかなか元気が出てこないわけであります。

 新しい産業をどう起こしていくか、新しい企業をどう起こしていくか、非常に大きな課題であります。お手元に簡単なレジメを用意しておりますのでご覧頂きたいと思います。
 1ページ目の1番下でありますが、新産業の創出への期待と課題という所でお話したいと思いますが、今産業の空洞化という事が言われております。どんどん企業は海外展開をします。後は空洞化ということが言われるのですが、これは今に始まった事ではございませんで、産業の発展と同義語であります。
 先端産業はいつまでも先端産業であり得ないわけで、どんどん標準的な産業になってくる。標準的な産業になってきますともっと地価の安い所、賃金の安い所に移ってくるわけです。現在の愛知県の製造業の出荷額というのはここ20年ばかり全国のトップであります。じゃあこの地域に今まで空洞化は起こらなかったかというとそうじゃないのです。
その度に新しい産業を起こしてきたのです。例えば1950年代日本のリーディング産業は軽工業、繊維ですがこの地域は岐阜から尾張一宮・知多半島一帯にかけて毛織物の産地でありました。ところが1950年代の終わりぐらいになってきますと当時はまだ途上国でありましたけれども、韓国とか台湾に繊維産業が移っていくのです。それで繊維産業は空洞化する。その次の日本のリーディング産業の重化学工業、鉄鋼、石油化学、造船であります。その当時1960年頃には伊勢湾一帯でその産業をリードしていましたが、1960年代の終わりになりますと、韓国や台湾とかメキシコに鉄鋼や造船等々が起こって空洞化してくるんです。

 1973年に第1次オイルショックがありましたが鉄鋼などはエネルギー多消費型で、今は随分節約が勧められておりました。その次の日本のリーディング産業は加工組立型の自動車、電気、電子、機械といった産業です。トヨタ自動車を中心とする自動車。それから大口町周辺、今の名古屋空港一帯の機械産業など、この地域は産業が次々と空洞化してきました。こうして次々に新しい産業が育ってきたということです。空洞化が問題ではなくて、その地域或いは国が次の産業を育てる事が出来るかどうかという所にかかってきているわけであります。

 次の新しい産業は何だ。おそらく岡崎商工会議所でも一生懸命研究されているでありましょうが、なかなか見えてこない。通産省の産業構造審議会は私も関わっていますけれども、これは13とか15とか業種を上げてこれは有望ですよと、というより分類しただけですが、国も通産だけではなくて、建設省、国土庁、運輸省、企画庁、ありとあらゆる所が新しい産業を、この地域でも勿論自治体は一生懸命検討してらっしゃいますし、それから経済団体も一生懸命やっておられますが、見えてこないのです。
 けれどもやらなければいけないことは分かっているのですね。まず付加価値の高い物を作らないといけない。日本の賃金はアメリカの製造業と比べると時間当たり1.5倍。地価は桁違い。アジアと比べると地価も賃金も桁が大分違うわけです。アジアと同じものを作っても国際競争にはならない。負荷価値の高い物を作ると研究開発、人材養成が大変である。全国どこでもそうであります。この地域について言いますと、この地域は製造業の中身は随分柔軟に変わってきているのですが、現在の状況をみますと自動車産業に影響されるという事であります。もう少し産業を多様化しなくてはいけないと言う事があるわけであります。

 研究開発について少し話したいと思いますが、産業の多様化については私は中部国際空港に期待しております。今日はあまり時間がありませんので、この地域の有望産業という事でありますが、製造業は頑張ってもらうとして、今からの話しはサービス業を取り上げるとして、最も有望な産業というのは私は物流と観光だというふうに思っております。物流は今は小牧の辺りに中心がありますが、どんどん南に移ってきています。名古屋港の港湾整備、さっき全然進んでいないと言いましたけれども確かに進んでいません。
 進んでいませんが、運輸省は名古屋を何とかしないといけないという認識を持ち始めています。私は5年くらい前に運輸省の会議で、超大型コンテナ船のバースを作らないといけないと申しあげてきました。運輸省の計画を見たら名古屋にも超大型コンテナ船バース、15メートルの水深のものを作るとは書いてあるのだけれども航路は掘ると書いてないんですね。伊勢湾というのは海が浅いんですよね。だから空港を作るにはいいんですが、大型船が入ってくるには大変不便な所です。私は素人ですから、15メートルの水深のバースを作っても海がなければ入ってこれないじゃないかと言うと、運輸省のある高官の方はいや、満潮の時に入ってくればいいという話なんですね。それで何で掘らないのですか?と聞いたら、まあ早い話が名古屋の製造業を今頃主流にしてもしょうがない。どうしても東京の方に意識があるのですね。ところが大変不幸な事ですが、阪神淡路大震災が起きて、神戸がそれで難しい状態になって、以降神戸は港の方はかなり復興しているんですが、需要がなかなか伸びてこない。一方名古屋の方がどんどん需要が伸びている。名古屋を先にしなくてはいけないのではないかという、運輸省の認識も段々そうなっております。

 それからもう1つはやはり観光だと思うのですよ。この地域、日本は全部がそうでありますけれども、観光は産業と関係ないですね。産業というのは物を作ることが産業ですので、観光なんてのはいかがわしいものであるというようなイメージですが、観光は伸びてきます。
 私は行きがかりじょうですが、実は愛知県の観光振興協議会の会長をやっております。何故お前が観光だって言われるのですが、愛知県の観光基本計画の理事でもありました。北陸でもそれをやっているのですが、私はほとんど行った事もないし、嫌だと断ったんです。しかし、先生行った事ないでしょう。だからいいんです。行けばいい勉強になりますよとおっしゃるもんだから出掛けていきました。
 そしたら富山県の城下町でアクションプランを練って報告書を作る時に、報告書の内容について3つの県のウエイトを全部同じにしてくれという訳ですよ。最後の頃になって実際のアクションプランを作ろうという時にもルートを作る時には3県を平等に通るルートを作ってくれとおっしゃる訳です。そんな馬鹿なね、そんなもん話にならないと。でも何か理由はあるんだろうと後で聞いたのです。あの発言の真意は何かと。国が北陸で何かをやる時には、富山、石川のペア。石川、福井のペアでお考えになる。いつも石川が先に出て、それはけしからんという話なんですね。それで運輸省の報告の会議終わってから、先生に委員長を引き受けてもらった意味が分かるでしょう。北陸の人では絶対駄目なんですと。

 観光はこれから大きな産業になる。特に愛知県は国際博が2005年に開かれますが、何をやるかということと同じくらい大事なのは、来た人が観光を楽しめるかどうかということです。国際博が成功するかどうかは観光がきちんと整備できているかどうかという事にあると思うのです。私は観光を2005年までにはこの地域一帯を世界に冠たる観光地に整備しなくてはいけない。それを国際博の時に売り出していく機会としたいですね。
 観光資源は本当に沢山あると思います。それも1級のものが。ドイツにロマンチック街道というのがありますけれども、中部地域だってそれぐらいのものはありますよね。鳥羽の海、伊勢神宮、名古屋という大都会があって、犬山、下呂、高山を抜けて日本アルプスがあって黒部がある。これが1本のルートと考えれば大変なものになります。売り出しいない、ネットワークがされていない。連泊の割引だとか色々な課題がいっぱいありますが、私はこの地域の観光は将来のサービス産業だと考えています。

 話が元に戻りますが、次に研究開発であります。皆さんご案内のように国のプロジェクトでやっているのが筑波と京阪南ですね。この地域は3県の意識はバラバラであります。私は研究学園都市が、世界に誇れる素敵な一つの拠点として活動できるには二つ条件があると思います。一つは生活基盤をきちんとしないといけません。子供さんの学校、病院、レジャー施設。もう一つは情報交流基盤ですね、国際空港から1時間以内のアクセスでないとなかなか機能しない。ところが日本の研究学園都市というのは、昔から日本はそうなんですが、研究開発をやろうとするとまずお寺と学校を田舎にいかせるのですね。学校の教師やお寺のお坊さんに、草刈りをしてマムシを追っ払わせる。マムシがいなくなったら役人さんがネクタイをして出掛けていく。今でもそのパターンをやっているのです。

 今は研究者は世界中を動くんですよ。理科系の方々は当然でありますが、経済学者もそうなんです。アメリカやイギリスからいいオファーがあれば、英語ですから簡単に行っちゃうんです。それだと、生活基盤をしっかりしないことには世界の研究者は来ませんね。
 昔ですと冷やっこと熱燗がないと生きていけないという人は日本に居るしかしょうがなかった訳ですが、今は冷やっこや熱燗だったら世界中どこへ行っても大きな街にはありますから簡単に出掛けてしまう訳です。ですから生活基盤と情報交流基盤をしっかりしなくてはいけないということです。ところがこの地域の研究学園都市はどうかというと、やはり昔流ですね。
具体的にあげるのは語弊があるかもしれませんが、三重県の鈴鹿ハイテクプラン21は四日市のずっと山奥、菰野との境でこれがまた不便な所ですね。私は四日市の顧問をやっていますので、色々見に行ったりしています。四日市というのは海沿いの道路はいいのですが。山奥に入っていく道路というのは市街地を抜けるとすぐに狭くなってしまいます。柿の木の下を通ってずっと30分程車で行くと全く売れてない宅地開発があってさらにその奥が鈴鹿ハイテクプラン21です。私が行ったときにはひばりがあがっていました。これでは、世界の国から研究者よ来いといっても来ないですよ。

 それから名古屋大学にプラズマ研究所という所がありますが、友人がいます。彼は名古屋に来る前水戸の電研に居たんです。奥さんは都会の人。名古屋大学に赴任というのを聞いて、やっとこれで街の生活が出来ると新幹線の中で万歳してきた。そうしたら今度は土岐に行けと言われ、奥さんはもう土岐に行かないという訳です。土岐が悪いわけではないですが、やっぱりこういうことはいくら学者でもきちんと考えてあげないと。私は10年位前によく皮肉を言ったのですが、名古屋の東部丘陵がそんなにいい所だったら市役所が、県庁が行けばいいじゃないかと。
 県庁や市役所に用事がある市民はそうはいませんからね。用事があるのは役員さんと議員さん。あれが全部移転すれば名古屋城の南に広大な一等地が空くわけですよ。そこを研究開発関係の施設にしなさいよという話をしてたんですよ。今は東部丘陵が頑張って色々施設もできて少し良くなりましたけれども、まだまだですね。
 私は別に悲観しているわけでなくて、長久手一帯それから名古屋だと地下鉄東山線の一番端っこから自由が丘一帯、ここには今研究開発機能が集積し始めていますね。愛知県の科学技術センター、農業共同試験場、名古屋大学の理工科学研究センターなど新しく出来た研究所です。アクセスも時間があえば中部新国際空港まで1時間以内で行ける。あの一帯が中心になって東部丘陵、或いは東濃地域まで発展していくのではないかということを期待しているわけであります。

 研究開発が大事だといいますと、これも良く議論になるわけでありますが、製造現場は海外に移ってもいいのではないか、研究開発機能が残ればいいのではないかという話が良く出てきます。例えば川崎はそういう議論を随分やったそうです。川崎は海の方は工場の密集地帯、内陸部の住宅地はうなぎの寝床みたいに長い地域を形成し、海岸地帯の工場はどんどん出ていっています。一つの考え方として工場は出ていってもいい。そこに研究開発機能を作ろうという話がある一方で現場は残しておくべきという議論があります。
 今はその中間ぐらいの所でありますが、私は製造現場を残しておくという事、中小企業を残しておくという事が大変大事だと思います。現場には現場に密着した研究開発機能というものがありますから。研究所から出てくる試作品を作っているくらいではとてもじゃないけど膨大な雇用は維持できません。

 次に大学の研究開発を民間企業に移転する仕組みの問題についてお話したいと思います。
 この商工会議所ではアメリカのシリコンバレーを随分研究していらっしゃるとお聞きしておりますけれども、産学協同というのは今でこそ共存しなくてはいけないという事で一生懸命仕組み作りが行われております。地域でも大変努力が行われているわけでございまして、かつてはそんな事を言おうものならこれは国家、資本による大学の支配である、大学自身の破壊であると言われておりました。
 私たちが学生の頃はそうでした。ところが今はいかにしてそういう事を進めていくかという事が重要となってきました。私は理由が大きく分けて3つあると思います。1つは、社会と連携を保つことによって大学が独りよがりになる、独りよがりの研究となるのを防ぐ事ができます。2番目に民間に大変優秀な研究者のプールがある。3番目に資金の問題であります。大学の研究資金はなかなか増えない状態で、今は名古屋大学でも国からもらってくる公費は大学の基本的な運営に使って、研究費はそれ以外から取ってくるという事が中心に行われております。現在目標にしておりますのは、1つは文部省から来る公費、2番目は科学研究、3番目は民間からの研究奨励金。この3つを1:1:1までもってくることを目標にしております。

 また、例えばこういう研究面だけではなくて、先程専務理事からインターンシップの話が出ましたが、名古屋大学でも進めようとしております。愛知産業大学の方は一歩進んでおやりになっていますが、名古屋大学でも昨年度から始めました。これは通産省が音頭を取り、私も委員会をやっていたのですが文部省がのっかったという事であります。
 名古屋地域をモデル地域に指定して、中部通産局が音頭を取って始め、名古屋大学も試験的に参加しております。。私のゼミナールでもトヨタ自動車、名鉄等々、私が電話してお願いしやっていただいたんですが、各社大変なコストだと思うのですが、いいプログラムを作っていただいて、行った学生は大変に関心を持って感激して帰ってきます。
 そこで何を学ぶのか、学んだ事が役に立つのかということよりも、後々学校で勉強を続けていく大きな励みになると思っています。何とか定着したいと思っていますけれども、参加した企業はやはり手間が大変なのです。金もかかります。したがって半分近くの企業は、将来も続けるかどうかは考えさせてもらうという事をおっしゃっておられました。

 研修先をどういうふうに確保するか、学生とのマッチングはどうするか、これが難しいんです。去年今年は私も色々企業の人事の方に直接電話して押し込んでいきましたが、マッチングには課題があります。
 それからやはり教育に関して、大学院のおける社会人教育、これは最近ブームになっていると言われておりますけれども、大変大きな意味を持っております。終身雇用というのがなくなって参りまして、私が学生に言っているのは、経済学部の学生というのは大体専門的な能力を身につけようと思って来ていないんです。まあゼネラリストとして人間の幅を十分作っておいて、企業に入ってゼネラリストとしてやって出世しようというふうな事を思っているようです。しかし、私が学生に言っているのは、それはいいんだけれども、もっと専門的な知識を身に付けろ、経営管理でも業務管理でも、公共政策でも金融でもいい。1つは専門的なものを身につけろ。会社に入ったら大学院に来い。そして更に1つ専門を磨け。企業に定年までいるにしても会社に自分を売り込むという事がこれから大事になってくるという事を言っておるわけでございます。

 今私立は始めておりますが、公立でも一橋は神田の女性会館で大々的に社会人の修士課程を始めました。それから阪大、神戸があります。神戸は特に梅田で夜と土曜日に開講しています。名古屋では、一番大規模にやっているのは名古屋市立大学で7、8年前からやっております。名古屋大学は3年前から社会人リフレッシュコースというのを5人の規模でまず始めました。今来ていますのは岐阜県、愛知県、三重県、名古屋市、それから中部電力等々ですね、来年4月からは更にもう15名社会人の一般公募をやります。
 もう少し幅広く人材を集めてこようと、中央官公庁から産業政策をやる人、通産省の40代の後半ぐらいの人に来てもらうという事。それから今金融が大変注目を浴びておりますが、金融の専門家に来て頂く。金融関係の専門の人に来てもらうというのは収入が問題です。彼らは4、5000万円取っているんです。大学に来ると50歳くらいでせいぜい1400万円くらいですからあと3000万円どうするのか。それから民間に在籍したまま大学、国家公務員にはなれませんのでどうするかという問題がございます。難儀はしておりますけれども最終段階に入っています。宣伝を申しあげれば、2月が入学式です。

 それから産学協同で私どもがやっているのはこういう事でございます。TLOの問題であります。大学にある研究開発発明を民間に移転して商品化することです。TLOは名古屋大学では私もメンバーに加わって審議しているところですが、基本的な機能は3つあります。
 1つはTLO、テクノロジーライセンスオーガナイゼーションと呼ばれている組織であります。ここでは何をやるかといいますと、教官の発明を特許に出願したり、維持することです。それから教官が取った特許を企業に貸し出すことや、ライセンス料など企業から入ってくる商品化の特許料を、教官と大学にどう配分するかをやるのが主な仕事です。
 2番目は技術投資組合であります。色々な名称がありますが、投資組合とは研究成果を企業化する時に資金を提供したり、会社を作る資金を用立てる。それから研究開発の為の資金を提供する。こういうところが投資組合です。
 3番目はリエゾン機能であります。リエゾン機能というのは民間と大学の共同のプロジェクトをつくる、大学の中の物になりそうな研究を見つけてきて企業に紹介する。そういうのがリエゾン機能の中心でしょう。TLO、投資組合、リエイゾン機能、この3つが技術を移転する時の中心的な機能になるという事であります。この3つを核にしてどういう事をやるかということについて検討しているところであります。

 日本の主な大学を見ますと、3つ何とか揃っているのはですね、筑波だけであります。他の所はなかなか揃っておりません。リエゾン機能の母体になるのは名古屋大学では先端技術共同研究センターに決まっています。名古屋大学の先端技術共同研究センターというのは11年前に作られ昨年4月に改装され大きくなりました。今は教授4名であります。そこへリエゾン機能を持たすことになりますと、研究者でない教授が必要になってきます。
 研究が好きで自分一人で研究ばかりしていたのではリエゾン機能は果たせませんので、むしろ腕は理系で科学技術士の研究をしている方などが最適なんだろうという事になります。名古屋大学は今検討中ということであります。全国主な大学でそれぞれ検討しています。何もしないのは京大。京大はこういう事はやらない。

 課題は皆さんご案内の通り、兼業規制が大変厳しくございます。民間企業の役員になるということは全然できません。TLOとかリエゾン機能を持った、特にTLO、これはどういう組織にするか一番難しいですね。株式会社にするのが一番やりやすいのです。公益団体にするということもありますねがやはり株式会社が一番やりやすい。やりやすいのですけれども株式会社にしてしまうと、教官が役員になったりすることはできない。これは大変大きな問題、出資はできますけれども規制の問題があって、段々緩くなってきていますけれどもやっぱり厳しいですね。

 緩くなったといえば、国立大学の教官が、大学を休職にして民間企業で半年とか1年とか仕事をする。これは今認められるようになりました。今までは駄目でした。あとは大変厳しいです。それから2番目は資金をどう調達するか。これも大変難しい問題で、特にベンチャーでありますので、かなりリスクが大きなものです。日本はリスクを極端に嫌うという風潮がありまして、なかなかベンチャー企画というのが育たないということが非常に大きな問題です。
 それから大学として独自の研究機能、ポテンシャルを持ってないといけない訳ですけれども、あまり応用研究を奨励しない。商品化する事ばかりを見て研究することにならないようにというモラルの問題があります。私立では皆さんご案内のように立命館がやっていらっしゃる。我々の頃には、立命館は産学協同反対を一番大きな声で叫んでいたのですが、担当課長さんに産学協同はどう進めたのですかって聞くと、いや今でも反対と言っている人もいますよという事でした。しかし今は産学協同の最先端のモデルみたいになって大変活発になっていらっしゃる。
 ただ何か問題はありませんかって聞くと、1つの問題は自分たちが営業に色んな企業を歩くそうなんですが、研究機能が十分にない企業では大学を自分達の実験室の替わりにするそうですね。そういった問題はやはりあるでしょう。国立大学でも起こるでしょう。いずれにしても仕組みは各地域の大学で一生懸命検討しているという段階であります。名古屋大学で今年度中には何か結論を出すといっております。

 最後にもう1点だけ、特に新産業の創出というのは製造業で大事なのですが、製造業に対する理解というのは、決して日本全国で見た時に高くない。名古屋が製造業で日本を引っ張ってきたということに対する評価は決して高くないという事です。

 私は通産で産業構造審議会の中の委員長をやっていますけれども、委員は委員長の私だけ東京以外であとは全員東京なんです。そうしますと、愛知県の基本計画には、今からアジアとの周辺分業をやっていかなくてはいけないと書いてある。私が委員長をやっている報告書にも、アジアとの水平分業はなどと書いてある。意味は全然違うのですが。
 通産の方は日本に残し、育てるべき産業と、海外に展開する産業ようするに出ていけという産業を仕分けしています。出ていけというのは加工組立なんですよ。日本で残すというのはサービス、私はこんな馬鹿な事はあるか、加工組立型が膨大な雇用を創出しているではないか。最先端の加工組立業をちゃんと日本で育てなきゃ駄目ですよと、委員長権限で入れました。

 それからアジアとのネットワークという言葉があります。通産の私が委員長をやっている報告書、これもアジアとのネットワークという言葉が。愛知県の基本計画でもアジアとのネットワークという言葉が出てきますが意味が全然違うのです。通産でアジアとのネットワークと言ったときには大規模港湾が東京ともう1つあればいい。名古屋はいらないっていう話なんですね。名古屋は香港を使えばいいじゃないか。そうすれは大規模な公共投資がいらなくなる、こういう話ですね。
 愛知県の基本計画がアジアとのネットワークと言った時にはそうじゃない。最初にいいましたように、名古屋港というのは日本の港湾で特に製造業には基本的に重要な港湾でありますから、それを整備しなきゃいけないという事を言っている。愛知がアジアとのネットワークを作る時の日本での拠点になるようにしようということで全然意味が違うのです。

 このように東京の製造業に対する理解は不足しているのです。名古屋を評価していない。これは80年代の終わりバブルに向かっていたころ、東京は産業の高度化を成し遂げた。サービスであり、金融であり、確かにそうでしたからね。株式の取引高が、外貨の取引高が世界のトップの金額にいったからですね。それから10年経って、何が日本を引っ張ってきたかきちんと判断するとそれは名古屋の愛知の製造業なのです。日本の足を引っ張ってきたのは何か。東京のサービスと金融です。ですから製造業がきちんと展開し新しい産業も展開していくことが大切と思います。

 先週の水曜日に堺屋太一経済企画庁長官が名古屋に来られた。長官としては初めてで、今から色んな所を見て回るから昼飯をちょっと一緒に食ってくれといわれるから観光ホテルで一緒に昼飯食ったんですね。そうしたら堺屋さんが地方が冷えきっている、というふうにおっしゃっているから、それはもうちょっと上品な言い方をしましたけれども、それは違うんじゃないか。
 今、日本は色んな事に困っているんだけれども、その中で一番頑張っているのは統計的に見たらどこかっていうと、東海地方と四国なんだ。四国と東海地方では経済水準の規模が違いすぎますから、要するにここが頑張っている。疲弊しているのは東京なんですよ。東京でこういう通産省などの役所で議論すると、東京はいいんだけれど、地方がどうもならんという話なんですね。とんでもないっていう事を私はいつも言っているのですが。製造業に対する理解はこのように決して高いとはいえない訳ですが、私はこの地域の製造業の展開はこれからの日本の新しい展開、産業の展開を支えていく大きな基本になると思います。

 新産業の創出というのはこの地域できちんとしていく。この地域は幸いにしてまだ開業率の方が廃業率より高いからこれをもっともっと開業を高くするということが大事な事だと思っております。私は前座でありますけれども、ちょっと前座にしては時間を取りすぎました。これで終わります。