■徳川三代をささえた三河武士 城下町おかざきフェスタ特別編

 今年も10月7日(土)・8日(日)の両日、中心市街地一帯で「城下町おかざきフェスタ」が開催されます。これは、岡崎の開市470年を記念して、1994年(平成6年)より開催されている商業イベントで、今年で7回目を迎えます。

 今回は、この“岡崎の開市”について紹介します。

 大永4年(1524)、岡崎城の西郷信貞と対立していた松平7代・清康(徳川家康の祖父)は、老臣の大久保忠茂(ただしげ)(?〜1547 彦左衛門忠教(ただちか)の祖父)の献策を採り入れ、堅固な岡崎城は攻めず、支城の山中城を風雨の夜、奇襲をかけ奪い取ります。背後を取られた信貞は岡崎城を清康に譲り、大草(現幸田町)に隠棲。以後、清康は本拠を安城より岡崎に移します。
 戦後、清康より恩賞の望みを聞かれた忠茂は、所望して市銭(商人の営業税)の権利を得、岡崎城下での市銭を免除して楽市楽座の政策をとります。新たな本拠地を栄えさせようとの忠茂の考えでした。はたして岡崎城下には諸国の商人が集まり、大手門前には商人の町(後の連尺町)ができはじめます。このときを岡崎の商業の始まりと捉え、“岡崎の開市”と呼んでいます。
 以来470年余にわたり、岡崎商業発祥の地である連尺・康生・本町地区は、岡崎のみならず西三河の商業の中心地として発展してきました。

  三河守護代・西郷稠頼(つぎより)が15世紀中頃に

  築いた岡崎城は1524年より松平氏の本拠となる。

  (写真:現岡崎城)


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