八丁味噌 美味SHOP

堂々と、岡崎の風格「八丁味噌」。 おかざき塾 深田 正義

書・丹羽勁子

 八丁味噌は、岡崎だけ。
 この町に、この味噌あり。
 日本全国津々浦々に味噌があり、味噌がふるさとを語る代名詞となり、それでもなおこの町は「味噌の町」を標榜するなら、八丁味噌をもって、日本一「味噌汁がうまい町」でありたいものです。
 世界遺産の和食。そこに導いた味噌の特異。
 その中でも岡崎の地味噌のすそ野は広く、究みの味噌を育てました。
赤を超えて黒に近づくこの味噌。その深い味わいは、妙なる渋みを滲ませ、これが日本の味噌の横綱。
 中国、朝鮮から伝わったのは豆味噌。各地で米、麦に変化してゆくも、頑なに大豆を守り続けたこの地、東海。巷に、赤だし味噌と総称するも、その究極のカタチが岡崎の八丁味噌。二夏二冬熟成の豆味噌。
 北海道から越後あたりは赤く、辛口米味噌。仙台も赤、辛口、米。伊達の兵糧を意識したもの。津軽は熟成。赤く、麹歩合を抑え塩多めの米味噌。米の収穫不足で大豆に依存した時から長期熟成が定着。江戸は甘味噌。米麹をたっぷりに、大豆も加えた濃赤褐色の米味噌。信州は武田軍の兵糧に使われ、淡い色目の米味噌辛口。ここが全国の味噌の30%を占めます。静岡は淡色甘口で相白味噌と呼びます。
 西に、京都の西京味噌、広島の府中味噌、ともに米で白く甘口。山口、愛媛から九州地方は麦味噌で、薩摩に赤薩摩、白薩摩があります。
 米味噌は全体の8割、麦味噌が1割、東海だけが堂々と赤の豆味噌、わずかに5%。その究極が褐色の八丁味噌。
 八丁味噌の蔵のあたりを、岡崎市八帖町往還通りといいます。
 このあたりは、中世の矢作東宿として栄えた岡崎以前の中心街。
 江戸期、東海道往還沿いに接し、岡崎宿の松葉総門から矢作川まで。
西は川。三河の海と信州の山を結ぶ川船がゆき、近くには矢作の土場。
交通の要衝に特異な味噌づくりが育ちます。
 神君、徳川家康公生誕の城から距離八丁。ここに八丁味噌蔵が残りました。
 戦国期、三河武士たちの兵糧にも使われました。
 堅く、渋く、戦場を生き抜きます。それはこの地の民の生き方と通じ、愚直に真面目に、我慢強く、質実剛健。
 それが岡崎らしさ。
 味噌の真価は味噌汁に問う、といいます。
 現代、私たちは八丁味噌の町を標榜するなら、小細工にとらわれるより、本筋の味噌汁を深化させ、日本一「味噌汁がうまい町」でありたいものです。
 赤だしを超え、八丁味噌の味噌汁は、難しい。堅く渋く、頑固。だから風格を味わいます。
 岡崎で食すとき、食卓に質実剛健の一汁が効く。
 菜は何であれ、味わいの一汁は、八丁味噌汁で締める。
 それが岡崎風。 
堂々と、この一杯。岡崎の風格です。

PAGETOP